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第十九章

夜明け10 自然現象マイナス二 〜 Heg Gnnehmi.

密でも空でも無い書物はどこに 〜 Meet Colour Night! 

 

少年たちの目が光った。かれらマケドニア貴族の子らは、すでに自分たちの未来を知っていた。父親たちが何のために血を流しているのか、その理由を知っていた。『行きます、この世の果てに!』と、アレクサンドロスは、いった。

師匠は、満足そうに少年たちを眺めまわした。

荒俣宏著『幻想皇帝 アレクサンドロス戦記』より

 

暖かい室内で楽しむ午後の紅茶の味わいは格別だ。特に、吹雪の中、弾幕を避けようと右往左往する者を眺めながら飲む紅茶は。

高い天井の下、本の山に囲まれて今日も私は紅茶を愉しんでいた。六芒星があしらわれた白磁器のティーカップを静かに降ろし、三日月型のテーブルを照らす魔力ランプの穏やかな光を見て、私はほっと息を吐いた。

しかし、今日はいつもとは様子が違う。三日月テーブルの私の空間の外には、客がどっと溢れていたのだ。ここ紅魔館の大図書館には、さまざまな妖怪や近所の妖精が集まっていた。

残念ながら、幻想郷の住民たちの知識欲が高まったためではない。

最近、地底から間欠泉とともに怨霊が湧き出る異変が起こり、私は人間に地底への調査を要請した。そして、異変の原因らしき妖怪を倒し怨霊は収まったのだが……どうやら異変の背後に黒幕がいるようだった。そこで、妖怪の山の守矢神社に再び人間を派遣し、八坂神奈子(やさかかなこ)と洩矢諏訪子(もりやすわこ)という神々が黒幕だと突き止めた。異変は終わったかに見えた。

しかし、久しぶりの異変である。お祭り好きの地上の妖精たちは騒ぎたくてしょうがないのに、騒ぎはほとんど地底で完結してしまい欲求不満が溜まっていたのである。妖精は自然現象の具現化であって、このままでは大自然が臍を曲げて、またも春の訪れが遅くなりかねなかった。

そこで、黒幕捜しの最中に守矢神社の参道でばったり出くわした、無意識を操る妖怪、古明地(こめいじ)こいしの協力の元、もう一日異変を愉しむことになったのだった。

大図書館の空中には、魔力で作動する映写機が投じる、巨大な映像が浮かんでおり、今はこいしと霧雨魔理沙(きりさめまりさ)の戦いが映し出されている。そして観戦に集まった妖精や妖怪たちが図書館のあちこちに座って飲み食いしながら、大声援を送っている。それだけではない。大図書館の中央の床板が外され、一年ぶりにプール、つまりレミリア・スカーレットの企画で造られた「海」が出現していた。ただし今は泳ぐためではない。水面は凍っており、スケートリンクになっていて、水中では河童たちが――氷の下にいた方が落ち着くらしい――冷たい水の中から大人しめに戦いを見つめているのだった。

一方画面を見ると、参道で闘うこいしと魔理沙の周りを観戦に集まった妖精たちがびっしり取り囲んでいる。

しかし、当の魔理沙は、周囲に観衆がいることに気付いていない。これはこいしの無意識を操る程度の能力のためであった。

すでに、人間とこいしの戦いは四戦目で、そのうち最初の一回はギャラリーのいない博麗霊夢(はくれいれいむ)との戦いで、八雲紫(やくもゆかり)が支援に回っていた。その後延長戦が決まり、霊夢の支援に鬼の伊吹萃香(いぶきすいか)と天狗の射命丸文(しゃめいまるあや)がついて二度戦ったあと、出撃する人間が魔理沙に代わったのである。現在セコンドについているのはアリス・マーガトロイドだ。

そして、魔理沙は仮に勝ったとしても、こいしによって無意識を操作され、もう二回出撃するはめになる。なぜなら、私と河童の河城にとりの、セコンドとしての出番が後に控えているからである。その前の霊夢も、やはり無意識を操られて二回戦っている。計五回の弾幕戦を見れば、みんな満足するだろう、という計画なのだ。

この話を聞いた人は、同じ妖怪と人間が三回ずつ戦っても、ほとんど同じような過程と結果に終わってしまい、三戦目は退屈なんじゃないか、と思うかもしれない。しかし、そうではないのだ。これは、アリス・マーガトロイドが人形操作術から生み出した、人間を操作する魔法が解決した。

今、魔理沙は無意識を操られて、自分の意思で行動しているかのように思っているが、魔理沙の行動はアリスに操作されている。アリスの手には、両掌にすっぽり収まる程度の小さくて黒い操作機器が握られており、八方向に動く桿(かん)をぐりぐり動かして魔理沙を移動させたり、△、○、×、□の形のカラフルに色分けされた釦(ぼたん)を押して、射撃やスペルカードの詠唱をさせたりし、操っていたのだった。

わくわくすると同時に、少しアリスに対し、嫉妬を憶えていた。魔理沙を地底へ行かせた時、橋姫の妖怪を目撃してからやや嫉妬に狂わせられたのかもしれない。

なにしろ私は、人形操作の魔法なんてほとんど使ったことがなかったのだ。

私、パチュリー・ノーレッジは、言語を通じて精霊を使役することで属性魔法を使うことを得意としていた。いや、得意というよりも、言語に依存した魔法使いだった。

 

 

…………………………

 

 

私は、アフリカの角と呼ばれたソマリア(ソーマーリヤ)の近くに住み、人類の歴史で初めてアフリカを離れた一団に属した、人間の少女だった。当時の人間は長命で、どんどん人の数は増えたから、それをまとめるための言語がいくつも生まれていた。

しかし、私は言語にコミュニケーションツール以上の用途を見出していたのだ。

自然が、平常の姿から一つ上位の姿を現す場合は、超自然現象であり、つまりは自然現象プラス一だ。さらに上位の姿を現し、明確な人格を持って人の形を取れば、超・超自然現象、つまり自然現象プラス二だ。たとえば強大な魔法や神通力を使う、鬼神たちは自然現象プラス二の好例である。

一方で、自然を世界の裏側から支える、非人格的な方向の存在もある。これが自然現象を動かす理論であって、自然現象マイナス一だ。だが、理論にはさらにそれを支える絶対的な存在がある。それこそが、言語である。

言語こそが、この世の全ての自然現象を支え、また支配する、自然現象マイナス二、である。

私は、自然を理解するだけでなく、自然を操るために、それに適した言語を作り上げた。今でいうところの、インド・ヨーロッパ語族の始祖、印欧祖語を作ったのは、何を隠そう私である。そして私は、イーラーンの高原で、膨大な数の子どもを生みながら、その子供たちにこの言語を教えていった。

現在、全世界に散らばるインド・ヨーロッパ語族を話す人々のほとんどは、私の子孫である。

しかし、密林の世界であるインド(バーラト)からスリランカ(シュリーランカー)にかけては、新しい言語が必要だと思い、ドラヴィダ祖語を作った。

現在の私の名乗りである「パチュリー・ノーレッジ」の構成はここからきている。パチュリーがドラヴィダ語族の一つ、タミル語からであり、ノーレッジはインド・ヨーロッパ語族の一つ、イングランド語からなのは、私が生み出した二つの言語の子孫から一つずつ言葉を取ったからだ。

 

しかし、言語以外は、つまり自然現象マイナス一である理論については、先人たちに教わることも多かった。七曜の魔法はエジプト(ミスル)人から教わったものだ。世界を支配する七つの惑星に基く魔法は、自然をうまく操ることを可能にした。インド(バーラト)に住み着いた私の子どもたちは二つ加えて九曜にしたし、漢の人々は五曜を好んだが、七曜が一番しっくりくる。

 

例えば、一週間という現在もっとも人類を支配している時間魔法は、惑星の数を七つと定めなければ発動しない。

最近、外の世界では一週間の始まりを日曜日だと思ったり月曜日だと思ったりする人間が増えているらしい。実に嘆かわしいことだ。

世界の時間に対する支配力が最も強いのは、地上から一番遠い土星である。次に支配力が強いのは木星で、以下、火星、太陽、金星、水星、月と続く。

だから、一週間の第一日の第一時間を支配するのは土星であり、第二時間を支配するのは木星になる。以下、第二十四時間を支配する火星まで、どの時間をどの惑星が支配するのかが決まる。そして、第一日目自体の支配惑星は、最初の時間を支配する土星になる。この土星という惑星、土曜が支配する日が土曜日である。

だから、一週間は土曜日から始まるのだ。

二十四時間は七つの惑星では綺麗に割れないため、第二日目の支配惑星は太陽になる。よって土曜日の次は日曜日になる。以下同様に、月が支配する日、火星が支配する日、水星が支配する日、木星が支配する日と続いて、最終日の金曜日が来る。

のちに、エジプト(ミスル)を深く憎悪したイスラエル人が、土曜日を祝日にすることで、土曜日を一週間の最後に見せかけようとしたが、それでは一週間の順序がどうしてこの順番なのか理解できなくなる。

日や月、年と違い、わかりやすい天体の周期と無関係な、時間魔法「週」がこの数千年に渡って強大な呪となりえたのは、全ては七つの惑星の時間支配のためなのである。

だから、現在でも一週間は土曜日から始まり金曜日に終わるのである。

 

惑星を利用した、もう一つの有力な理論は、日の軌道、黄道と、月の軌道、白道の交わる天球の二つの場所にある幻想の惑星、羅睺(らごう)と計都(けいと)の二星を加えた九曜の魔法だ。

しかし、九曜は強力な分、コントロールが難しい。九曜の魔法が、最悪の災いを使用する本人に及ぼすこともしばしばある。

例えば、江戸時代に起きた殺人事件などは有名である。

板倉勝該(いたくらかつたね)という旗本が起こした、肥後国熊本藩主の細川宗孝(ほそかわむねたか)に対するうっかり殺人だ。

細川家の家紋は九曜紋、板倉家の家紋は九曜巴紋で遠目からはそっくりだった上、その日延享(えんきょう)四年八月十五日は、中秋の名月の日だった。前夜、すでに待宵の光で狂気の渦になっていた勝該は、自分の主君の板倉勝清(いたくらかつきよ)が自分を廃しようとしていると思い込み、逆恨みして斬り殺そうとして狙っていた。そして、板倉家の家紋にそっくりな九曜紋つきの正装をしていた細川宗孝を厠で見つけ、勝清と間違えて斬殺してしまったのである。

宗孝は三十二歳の若さで絶命し、熊本藩はお家断絶の危機に見舞われることになる。

まったく、うっかり殺人ほど恐ろしいこともないが、これも九曜の魔術的な力が強すぎて、月の狂気の前にコントロールが効かなくなったためであった。

こうした危険性があるため、私は古代より七曜の魔法を信頼しているのである。

 

私は、かつて地上に沢山いた魔法使いたちと、古代の文明の礎を築きながら平和に暮らしていた。

ところが、やがて増えすぎた私の子孫たちがあい争うようになっていった。インド・ヨーロッパ語族の言語を話す一族と、ドラヴィダ語族の言語を話す一族の間で、まさに血で血を争う戦争が始まったのだ。

私はそれが嫌で、西方へ移住することを決めた。

だが、私はまだ気付いていなかった。

地上の生き物を相争わせることを自分たちの使命と考える月の都が、言語の魔力を必要以上に増強させていたことに。

自然を操ることに長けた言語に月が魔力を与え、インド・ヨーロッパ語族を操る人々は、次々と暴力的な文化を産み始め、戦争を好むようになっていった。例えば、私が改良した言語の中でも傑作だと思っていたヒッタイト(ネサ)語は、極めて侵略的な文明を育てたが、当時の私はなぜそうなるのかわかっていなかった。

西へ西へと移動した私は、スラヴ、バルト、ギリシャ(エラス)、古代バルカン、アルバニア(シュチパリア)、ラテン、ゲルマン、ケルト(ゴール)の祖語を生み出し、地の果てのアルビオン、現在の呼び名では大ブリテン島に来た。

ちなみに、大ブリテンの「大」は大陸のブリターニュ地方と区別するために便宜的についているだけで、島自体が大きいわけではない。ただ、深い森と荒々しい海、そして時折見せる美しい虹が印象的な大ブリテン島は、魔法使いが住むにはぴったりの場所だった。

私は好奇心を抑えられなかった。親しい人々と、さらに西へ行くことを考えたのである。

 

kela(言葉) wete(それは)-() aku(という)-(川の) kahla(浅瀬)

kala(過ぎ去った)-ipalhe(者達の)-ke(棲家へと) na(われらを) wete(導く) 

sa(しかし) da(深き) a(水を)-ke(怖れる) ejeala(者は)

ja(そこ)-ko() pele(辿り) tuba(着くことは) wete(ない) 

 

これは、印欧祖語で歌った私の詩だ。深き水を怖れる者が辿りつく事が出来ない、新しい世界を目指したかった。 

そしてついに、グリーンランド(カラーリット・ヌナート)から大洋を越えて西の大陸にたどり着くことに成功した。

しかし、そこにはすでに住民が、いた。それも、私が開発した言語とはまったく別系統の言語群を喋る住民たちが。そして悲劇が起こった。私の子孫で構成された仲間たちが、現地の住民を殺戮し土地を奪い始めたのだ。

私はその時、自分が作り出した印欧語に共通する、ある欠陥と、そこに便乗した月の都の策謀に初めて気付いたのだった。私は仲間たちを船へ戻すと、その大陸を「アヴァロン」と名付け、今後自分たちの仲間が到達できなくなる結界を施すと、自分たちが到達したという痕跡を消し、哀しみのうちに大ブリテン島に帰った。

そして失意を癒すために、私は大ブリテン島で、巨石(メガリス)を使った三つ組石(トリリトン)を組み合わせた一大魔法施設を建設することを決めた。属性魔法の集大成である、世界の文明の中心地を定めた環状列石、すなわち現在呼ばれるところのストーンヘンジを作りだしたのだった。

それ以来私は旅をすることもなく、だんだんアウトドア派からインドア派になっていき、言霊の神として言語の改良に取り組みながら、冬は子孫たちと炉辺で眠り、夏は白夜のお祭りでお酒に酔って踊り狂って、長い時間を過ごした。

やがて、ラテン語族を話す別の私の子孫たちや、またゲルマン語族を話す、別の私の子孫たちが大ブリテン島に侵略してきて、ケルトの人々は散りぢりになり、森は切り開かれて消滅した。そして巨木の森に囲まれていたストーンヘンジは、荒涼とした草原の上にむき出しになった。だが、魔法の力はむしろ強まったのか、その地を支配したイングランドの言葉、イングランド語がやがて世界を征服するに至る。

私は、魔法使いたちとアイルランド(エイル)へ移住したが、そこへ懐かしい敵がやってきた。キリスト教である。

かつて、私と同じように言語を生み出した魔法使いに、セムとハムという兄弟がいた。その二人の言語はエジプト(ミスル)やユダヤの文明の元となり、私の印欧語文明と長い間争っていたのである。しかし、エイルの島で出会ったキリスト教の天使どもは、かつてのセム・ハム的な風貌や言語とはがらりと変わっていた。最初は大陸の、やがてはアングロサクソンの言語を喋ったが、聖書がギリシャ語やラテン語に翻訳されたことで、文明も変容していたのだ。

だから、天使がラテン語やフランス語、イングランド語を話そうものなら容易に論破できた。印欧語族に属する言語のバグがどこにあるのか、私にはすぐにわかったし、そこを突けば相手は崩れた。逆に相手が天使言語を話すときは、わからないふりをした。

聖書に用いられているのがアラム語ならまだしも、ギリシャ語やラテン語、イングランド語では私の敵ではなかった。その気になればキリスト教そのものを支配するのも簡単だっただろう。しかしイングランドがアイルランドを征服した年、子孫同士が殺し合う世界に耐え切れなくなった私は、魔界への移住を決め、言霊の神としての生命は終わった。

 

 

……………………

 

 

アリスが操作する魔理沙は、こいしにどうにか勝った。

アリスが魔理沙に持たせた人形は、レインボーワイヤーという支援ショットを出した。しかし高速移動していないと前方へ射線を集中できない、極めて扱いづらそうな弾幕で、アリスは最初、魔理沙が被弾して苦しむのを愉しんでいる様子だったが、だんだんこいしに負けそうな空気になってきて、焦りがひしひしと伝わってきた。次に被弾したら負ける時に、人形が八体投下される大ボーナスがなかったら、こいしの九つ目の弾幕「嫌われ者のフィロソフィ」で魔理沙は敗れていただろう。

戦いが終わると、魔理沙への賞讃と、アリスへの大ブーイングが図書館中から沸き起こった。それはこの図書館の主であり、次に魔理沙を操作する私への期待も込めてのものだったが、私はおおいにプレッシャーを感じた。

アリスは、魔理沙を迎えに参道へ飛んで行った。やがて画面にアリスも映り、魔理沙から爆薬が仕込まれた危険な人形を受け取った。同時に、疲れて参道の上に倒れ込んだ魔理沙の背後にこいしが忍び寄り、無意識を操作している。これで魔理沙はふと紅魔館の門に来ようという気になるはずだ。

私はエブリアングルショットを仕込んだ五色に変わるミニ八卦炉を持って、正門へ出て行った。すぐに魔理沙がやってきて、お前に預けておいたミニ八卦炉を返せ、と言われたので、無言で渡す。ミニ八卦炉を受け取った魔理沙に、異変の黒幕は見つかったの? と聞くと、魔理沙は、そうだ間欠泉の異変の黒幕を探しに行かなくちゃ、と無意識に思ったらしく、慌てて妖怪の山の方へ飛んで行った。全ては準備万端である。

 

そして魔理沙を操作し始めた私は、アリスのことを笑えない自分の愚かさに気付かされた。木符と土符が、ほとんど使い物にならないのだ。

「終わった後だから言うけど、さっきの早苗の弾幕に、神徳『五穀豊穣ライスシャワー』ってあったでしょ。あの弾源だった早苗の手に乗ればきっと当たらないから、土符が使えたのに」

そう隣にいるアリスに言われ、そういうことはもっと早く言いなよ、と喉から出かかったが、そういう助言はしないのがお約束だ。その後アリスから、金符についてもしつこく聞かれた。

「ねえ、あの金符ってほとんど役に立たない装備に見えるけど、どうしてあんな装備をつけたのかしら。ねえ、ねえ」

実にうざったかったが、深層「無意識の遺伝子」で活躍することで溜飲を下げることが出来た。

しかし一番の誤算は、魔理沙にとって最高の霊撃になるだろうと開発した、「ファイブシーズン」が、まるで役に立たなかったことだ。

この弾幕を開発したのは誰だ、と思わず罵りたくなるような戦いにくさにイライラした私は、可哀想な魔理沙を何度も被弾させることになった。そして、この戦いが終わったら、魔導書を少し多めに盗ませてやっても良いか、と思った。紅霧異変の頃から魔理沙が読みたがっていたエスペラントで書かれた本あたりがいいだろう。あいつは読めない本を欲しがる実に悪い癖がある。

 

 

……………………

 

 

エスペラントは、どの言語とも違う国際言語として魔法が使えない人間が作り出したものだ。しかし、開発者がポーランド人だったためか、残念ながらまったく新しい言語ではなく、あからさまに印欧語族の掛け合わせとしての言語になっていた。逆にいえば、私が開発した印欧祖語が優れている証拠でもあるのだが。

印欧語が優れている点は、オリジナルに付加して二次的な派生が容易に行える点だ。

オリジナルには、主格、対格、属格、与格、具格(造格)、奪格、処格(地格)、呼格の八つの格があり、単数と複数と双数の三つの数があり、男性、女性、中性の三つの性があった。複雑だ、ややこしい、と最初に教えた子供たちからは不評もあったが、文法のルール、多様な格や数や法によって、意図が伝わりやすい。そして、オリジナルの段階で様々に発展しそうな母音も子音を選んであり、造語能力も高い。

むしろ「オリジナルを改変して二次的派生が生み出しやすい」オリジナル言語を一から作り上げたからこそ、これほど広範にかつ侵略的に人類社会へ広まったのである。

その結果、私の目論見通り、私の魔術言語は莫大な二次、三次、四次……の言語の子孫を生み出した。私の先輩の二人の魔法使いセムとハムや、臺灣(たいわん)にいたらしい南洋語の祖語を作った魔女の仕事と比しても、自分の魔術の方が上だという自負があった。言うまでもなく、それらは全て、私が作り上げた魔術、印欧語のプログラム通りに動いていた。

だが魔界へ移住する頃に私は、自分のそしておそらく人類最高の魔法「印欧語」の欠陥にも気づいていた。

絶対に人称がなければならないという欠陥である。

一人称単数を複数持てないことは、世界の認識をスマートにするが、一方で他の可能性を切り捨てていたのだ。

印欧語族のオリジナル語を作り上げた時、確固たる自分と他者の峻別を可能にし、曖昧な認識を極力避けるシステムとして導入したのが人称システムだった。だが、それらがサンスクリット語、ペルシャ語、ヒッタイト語、ギリシャ語、ラテン語、フランス語など諸民族の文明が世界宗教、哲学、論理学、数学、自然科学、社会科学、人文科学に至るまで、人類をその魔力で呪縛し始めると、人称システムの弊害が目につき始めるようになる。特にゲルマンの子孫の分派、イングランド語は、地上を全て覆い尽くそうとしていた。もはや言霊の神であり印欧語の始祖たる私の関与がなくなり、月の都のバックアップを受けたイングランド語文明が全世界の言語文化を根絶やしにする勢いで覇権を拡大していた。

 

私は、印欧語族に対抗するための魔術的言語を魔界で開発することにした。いずれ発明されるであろう人間にも扱える式神のことを考え、それを動かすための言語を作ってみようと思ったのだ。私は、一七八六年二月二日、印欧語の神霊としてインドのカルカッタに降り立つと、アーリアン学説という魔法を発動させて信仰を得てドイツ(ドイチュラント)の首都、ベルリンに渡って研究をつづけた。それはついに百年ほど前に完成し、私は新しい魔術的言語を使ってまずは自分の肉体を作り出し、魔法使いとして転生した。二十世紀に入るころには、どうもアーリアン学説という魔法は失敗に終わりそうな気がしていたのである。王立シャルロッテンブルク大学の倉庫にそっと術式を書いた紙を預けて、ベルリンを離れた。

 その後、私の悪い予感が当たって、アーリアン学説は民族浄化のイデオロギーに使われたあげく、第三帝国と一緒に魔法は解けてしまった。

私が遺した魔術言語は、世界中に拡散し、改良されて使用された。直接的には、コンラート・ツーゼという人物が発見したのか、「プランカルキュール」として改良され、人工式神用の言語として使われたようだ。私の意図したとおり、式神を動かすための言語は世界中に普及し、私の魔術はまたしても世界を支配し、また月の都の束縛を受けない言語群になる予定だったのだが……。しかし、新しい言語は月の都に利用されてしまったのだ。外の世界の式神、コンピューターを操る言語群は、月の都が地上を監視するために人間たちに造らせた、情報通信網を支配する言語としても進化してしまった。最近では、オブジェクト指向なる思想が使われ始めている。これは私の発想にはなかったものだ。

私は、その考えに感心すると同時に、いずれ月と対決せねばならない、と予感を覚えていた。

私は、まだ私自身が作った印欧語族に汚染されていない、日本という国にレミリアたちと移住することにした。日本語は非常に不思議な言語で、誰が作ったのかも不明だ。「パチュリー」の語を産んだタミル語と近いという説もあって、そうなると私が産みだしたドラヴィダ語族の子孫になる。それは光栄なことだが、どうも話していてそういう感じがしない。むしろ南洋語と北アジアの言語を複雑に合成したように思え、その出現過程において、極めて高度な魔法の存在を感じさせた。ここなら、イングランド語による暴力を後押しする月の都の脅威から身を守れると思ったのだ。しかし最近では幻想郷ですらイングランド語に汚染され始めたようだ。私やレミリアはともかく、土着の者達までスペルカードにイングランド語を使用するようになってきた。あまり時間はなさそうだった。

私は三段階の作戦を練った。

私が居候として住む紅魔館の主、レミリア・スカーレットは、私とはまったく別の目的で、月へ行きたがっていた。そこで私はまずレミリアを月へ送り出し、月の民がどのような者か探った。

次に、私は月と住民が似ているが、月よりも高度が低く、また月の民ほど強くない民が住む天界へ、殴り込んだ。

インドア派だった私にとっては、博麗神社で鬼の伊吹萃香と戦って以来の大立ち回りだった。もっとも私は、完全に異変の経緯を取り違え、異変の首謀者を捨て置いて、再び伊吹萃香と熱戦を繰り広げ、後から後からやってくる幻想郷の連中みんなから笑われて、ひどく赤っ恥を掻いた。

しかし、私の魔法は、天人や竜宮の使いに通用することがわかった。

あとは、第三段階目で月の民と戦うだけだ。私は地上よりも月に近い天界の土台が、非常に強固であることを知って内心喜んだ。いくら赤い敷物を引いて赤道を作り出したとはいえ、紅魔館の図書館から月へ行くのは相当遠い。しかし天界に発射場を作れば、月はすぐそこだ。

 

 

…………………………

 

 

私が操る魔理沙もなんとかこいしを破ることが出来た。

「人形操作って難しいでしょ?」

アリスはそうにこやかに言ったが、私にはアリスも自分も魔理沙に与えた装備に問題がある気がした。そして、魔理沙にとっては本日三回目の勝負で、さらに問題のある装備が露見した。にとりが魔理沙に与えた、支援ショットの「空中魚雷」と霊撃の「オプティカルカモフラージュ」である。

弾が遅くて威力も高くなく、霊撃はバリアだがあらかじめ使用しておかないと意味がない。

予想通り、にとりの操作する魔理沙は、無意識「弾幕のロールシャッハ」に霊撃を展開する前に被弾した。本日三回目である。はっきり言って、初見で魔理沙があれを避けきるのは、無理だろうと思った。

さらに、スペルカードの間に展開される、いわゆる通常弾幕と呼ばれる弾幕で、無謀にもにとりは魔理沙に回転避けをさせようと試み、あっという間に失敗して貴重な霊撃を失った。

いつの間にか観戦に加わっていた八雲紫が、霊夢は、あの通常弾幕を、全て回転避けして弾にかすりに行ったわよ、と余計なことを言ったためだ。

「あれを? こいしに近づいて、回転避け?」

「それも初見で?」

私とアリスはただただびっくりした。そこへ八雲藍が補足した。

「霊夢のその動きは、紫様の操作を一切受け付けなくなった後ですけどね」

ピシリ、と紫が扇子で藍の膝を叩く音がした。なるほど。紫の操作が優れていたのではなく、霊夢の天才のなせる業か。ならば仕方がない。霊夢の有り得ない動きに敗北した経験は、この図書館にいる者全員の身に染みついている。

ちなみにその時の霊夢とこいしの戦いは、萃香や文、そして魔理沙を操った私達三人は見ていない。こいしが霊夢と魔理沙の無意識を操ることを利用した今回の遊びは、霊夢とこいしの戦いを見ていた紫が思い付いたものだからだ。何ものの操作からも自由になった霊夢はさぞや素晴らしい戦いを見せたことだろう。

残念ながら画面に映っているのは、操作初体験のにとりと努力家だが凡人の魔理沙である。特に、深層「無意識の遺伝子」での苦戦はあまりに痛々しく、私は思わず、金符がないからこうなるのよ、自分の装備は九十点ね、と言ってしまい、アリスとにとりから睨まれた。

「……あ、九十点というのは、九十六点満点中ね」

アリスが鼻で笑った。

「なぜ百点満点じゃないの?」

「それは、三でも四でも割り切れるからよ」

にとりが呆れた顔をした。

「九十六点満点じゃ、五で割り切れないじゃないか」

「五で割れる必要なんてない」

「あるよ。一番便利な評価が、五段階評価なんだ。『良い』『まあまあ』『普通』『いまいち』『悪い』の五つさ」

「だから河童の技術は駄目なのね。『普通』とか『どちらともいえない』とか、そういう曖昧でどっちつかずの評価なんてなくして、四段階評価か、六段階評価か、八段階評価にしなさいよ!」

「わかってないなあ。正規分布は真ん中の山が高いんだから、評価基準は奇数で割り切れなきゃ駄目だよ」

「じゃあ、五でも七でも割り切れる、百五点満点にするべきよ!」

私は譲らなかった。アリスが不思議そうな顔をした。

「そんなに百点満点が嫌いなのは、何か理由があるの?」

私は答えなかった。かつて、印欧語の子孫が大分裂をしたことがあった。それは「百」を意味する言葉の発音の違いだった。百を「サテム」と頭をsの子音で呼ぶ派と「ケントゥム」とkの子音で呼ぶ派に分かれて殺し合ったのだ。今のイングランド語のhundredのhundは、kがhに変化したものだ。centuryのcentも、もともとはkの子音で発音していたものがsの子音に変化したものである。

九十六点満点にこだわるのは、もしかすると、大昔の嫌な思い出が無意識のうちに私の考えを支配していたせいかもしれなかった。勿論、そうだったとしても、それを他人に説明する気はなかった。

にとりは、私とのやり取りにかまけている暇はないので、すぐさま画面の方へ意識を集中させた。

一方、何度もやって来ては、つらい戦いを強いられる魔理沙の様子があまりに可笑しかったのか、こいしの方は固く閉じられているはずの眼の目蓋が、ピクピクと動いていた。

にとりは、結局、被弾した瞬間に霊撃を展開する裏技だけに専念することにして、行動のほとんどを魔理沙の自律に任せるモードにしてしまった。水を得た魚というのか、たちまち魔理沙はこいしの弾幕を避け切り、人生の勝者になったといわんばかりの陽気さを取り戻した。にとりに大ブーイングが飛んだが、にとりはエネルギー革命の技術を手に入れることを最優先にしたようだった。

こうして、間欠泉に始まる異変は一応の終結を見、私は一つの教訓を手に入れた。他者を送り込んで何かやらせるよりも、自分が乗り込んで解決した方が、ずっと気分がよい、ということだ。例えそれが、勘違いを重ねた結果のちのちまで笑いものにされることになっても。

 

 

…………………………

 

 

一年が経った夏。幻想郷では、河童のバザーだとか、山に巨人の影を見たとか、異変の気配がそこかしこにしていたが、私はそれをチャンス到来とばかり、紅魔館を出て天界へ逗留しようと考えた。

しかしその前に、魔法の森に住むアリス・マーガトロイドを訪ねてみようという気になった。かつて永遠亭に住む八意永琳や蓬莱山輝夜とまみえたこともあったという魔法使いに、相談してみようと思ったのだ。

「ロボットロボットロボット〜♪」

魔法の森の一角から、ゴキゲンな歌が聞こえてきた。アリスが、ぴょんぴょん跳ねる人形を操作して、何やら巨大な人形の制作に取り掛かっていた。

「ちょっといいかしら」

「ロロロ♪ ロボットロボットロボット〜♪」

作業に夢中なのか、こちらにはまったく気付いていないようだ。

「あら、大きな人形ね」

「人形人形人形〜♪ ニンニンニン♪人形人形人形〜♪ 頑張れ♪頑張れ♪頑張れ〜♪ 働く働く〜人形〜♪」

「本当は聞こえているんじゃないの?」

アリスはこちらを一顧だにしない。

「撃ったら避けて♪ 避けたら撃って♪」

「弾幕ごっこじゃなく、挌闘になることってあるじゃない? でも、私は挌闘の心得なんてないし……ついつい本でバシッと殴っちゃったりするけど、あれも図書館を愛する者としては、本来やっちゃいけないことよね。本が傷みそうで……悩んでいるの」

「殴ったら傷んで〜♪ 傷んだら、棄て〜る〜♪」

「棄てないわよ!」

「五月蠅いわねえ、何の用かしら」

ようやくアリスが振り向いた。

「貴方、里で、魔法を使った弾幕人形劇をしているじゃない。あれはどういう詠唱言語を使っているのか、一度聞いておこうと思ってね。確か……プラプラとか言ったかしら」

「C++ね。メドゥーの上でささっと」

「メドゥーサを使役していると」

「メドゥーよ、Meadow」

「Meadow(牧草地)? 牧草地の草の上に? 妙な魔法言語ね」

「でも、弾幕を扱うのに、自分で開発したスクリプトも使っているわ。試しに、開発中の人形劇の弾幕見てみる? スクリプトはこんな感じだけど」

アリスが、空中に文字を出した。

 

 第二段階スペルカード

func:BossCard二()

  @CardStart()

 

  interrupt(〇,〇, TIME_CARD二*六〇,“Boss三”) ♯ 死んだとき

  cardE(CARD_ST五_二E,TIME_CARD二*六〇,SCORE_CARD一,“投皿「物部の八十平瓮」”)

  pos_i(六〇,IT_二X_I,〇.〇,九六.〇)

   

   +六〇 :nop

   +六〇 :nop

    clip(〇.〇,一二八.〇.九六.〇,六四.〇)

 

   float x,y,r <==PI/一五: PI/一五: PI/一九: PI/二三

   int max <== 一九: 三二: 四〇: 四八

 

   I0 <== 九: 一九: 二四: 三三

   while(一){

     @EffChargeCyan()

     anim_at(〇)

     wait(六〇)

     BossCard二_at(r)

     wait(四〇)

     anim_at二(〇,二)

     r *= -

     rot_r(一二〇, IT_SIN_DI, 一.〇)

     wait(一四〇)

     if(I〇 < max){

        I〇 += 二

      }

     }

   end

 

   func:BossCard二_at(float rd)

     @set_et(〇, ETON_FAN, ET三二A, BLUE三二, 一, 一, 〇, R_一〇, 〇.三, 一.〇)

     @exi_effon一(〇)

     @exi_spdown(〇)

     @exi_ref(〇, EX_WAIT, 一, NEG)

@exi_on_br(〇, ETON_RANDOM, ET一六E, BLUE_L, 一〇, 一, -PI, PI, 〇.五, 二.〇, 六)

 

     @ex_effon一(〇, 六)

     @exi_not_out(〇, 一八〇)

     @exi_spup二(〇, EX_WAIT, 一二〇, 〇.一, NEG)

     et_ofs(〇, 〇, -一六)

 

     float r <== AIM + rd*五: AIM - rd*五: AIM - rd*五 AIM - rd*五, sp = 一.〇,sp二

 

     Times(I〇){

        et_sp(〇, sp, 〇)

        sp += 〇.二

        sp二 = 一.三 + RF二*〇.二

        @ex_spup(〇, 九, EX_WAIT, 一二〇, sp二/一二〇,R_D+RF二*R_二〇)

        et_r(〇, r, R_二〇)

        r += rd

        et_on(〇)

        wait(一)

     }

   end

 

なんという単純な式だろうか。

「縦書きで、漢数字を使うのね」

「当たり前でしょ。ここは日本なんだから。ま、横書きの漢数字やアラビア数字も使ったりするけどね。本番はここから」

アリスがスペルカード宣言を出した。

「投皿『物部(もののべ)の八十平瓮(やそひらか)』。これを難易度別に見せるわ」

素焼きの皿が空中にばら撒かれた。簡単な弾幕だが、ちゃんと四段階の難易度が設定されている。

「なるほど、スクリプトの中の、コロンで区切ってある四つの数字が、各難易度に対応しているのね。そして、I〇が投げる皿の枚数」

「その通り。流石ね。これは東方神霊廟という弾幕人形劇で披露するためのものよ。適当に展開して、人形に読ませる」

「人形が読むの? あの目で?」

「人形の手や足が動かせるように、目や耳や鼻も、センサーとして活用しているわ。当然でしょ」

「なるほど、あとはこのスクリプトの通りに勝手に動く、と」

「そう。簡単明瞭、細かいことは出来ないけど、貴方のように、詠唱するためのスクリプトが書かれた魔導書を殴るために使い、傷めて、棄てちゃうお馬鹿さんよりも、ずっと便利でしょう?」

「だから傷まないって! そもそも、挌闘に使うこの本は専用の魔法がかけられていて、傷むことは一切ない!」

私が金の属性魔法「フォールスラッシャー」を使って大量の剣を投げつけると、アリスは素焼きの皿を投げて防ぎ、人形の伏兵を設置しながら空中へ跳んで避けた。

「もう、さっきと言っていることが違うじゃない。悩みごとなんてないくせに」

ウェーブのかかった金髪を掻きあげながら、人形遣いがうんざりした顔で言った。

「まあいいわ。珈琲タイムにしましょう」

 

アリスの家の中はところ狭しと人形が置かれていた。 

いつもは紅茶を飲んでいるアリスだったが、魔界珈琲を入手したというのでそれを飲ませてくれたのだ。

「最近、魔界との通行が盛んになってね。魔界煎餅と一緒に、どうぞ」

「ありがとう。珈琲も煎餅も、懐かしい味ね」

「魔界で色々あったことを思い出すわ」

レミリア・スカーレットの紅魔館が幻想郷へやってくる時、アリスも色々と関わっていたのだ。

「魅魔や神綺も、こっちに来るのかしら」

「さあ、難しいんじゃないかしら」

「そういえば、貴方、魅魔の人形は作らない、って言っていたわね」

「実は、一体だけ作ったのよ。でも、弾幕人形劇には登場させず、里の稗田家の御嬢さんに上げちゃったわ。幺樂団を聞きながら、魅魔の人形を見ていると和むとかなんとか」

ひとしきり、世間話をすると、本題に斬り込んだ。

「さっきの弾幕、物部って言っていたわね。また、幻想郷の住民が増えるの?」

「それは内緒。トップシークレットよ」

「貴方の人形劇団、上海アリス幻樂団が、人形劇のシナリオを書き、その通りに異変が起こって、貴方とつるんでいるワーハクタクの上白沢慧音が歴史として認定し、貴方の弾幕人形劇は大当たり。まったく、よく出来ているわね」

「いいじゃないの。色々いた方が、貴方も私も、魔法の研究がはかどるわ」

「さっきの言語、あれはどういう理論の上で動かしているの? やっぱり二値論理?」

「そうよ。真偽の二値を取る論理学が、一番簡単明瞭で、安定する。貴方もわかっているはず」

「わかっているけど、最近物足りなくて、七値論理を研究するベースに、三値論理に手を出しているのだけど」

そう言うと、アリスは、二体の人形をどこからか飛ばして来て、テーブルの上に置いた。一体は私のよく知る人物、レミリアの妹、フランドール・スカーレットだ。もう一人は黒いなりに赤と青の妙な飾りをつけて、蛇が絡みついた三叉の矛を持っている。

「これは、封獣(ほうじゅう)ぬえ、と言って最近幻想郷に出てきた鵺の妖怪。この二人が関与するのが、三値論理のU」

「妹様が、Unknown、ということは、ぬえの方は、Undefined、かしら?」

「ご明察。そう。三値論理では、TrueとFalseの二値の他に、Undefinedの真理値を持つ場合、Unknownを返す。月の民が、地上を支配するために使っている、二値論理の強力な魔法言語を打ち破る可能性が、三値論理にあるかもしれない。だけど、使いこなすのはとてもとても。七値論理はもっと大変そうね」

「しかし、妖怪にとって、TrueとFalseで割り切られるのを防ぐためには、三値論理しかないんじゃないかしら。二値論理の世界になってしまったら、妖怪は滅びる」

「その通り」

「じゃあ、東方神霊廟の次の弾幕人形劇は、三値論理をばりばり活かした言語で創りなさいよ」

「東方輝針城? あっ、タイトルを言っちゃった。あれはまあその」

「なに? まさかとは思うけど、私を勝手に出演させる気じゃないでしょうね。異変に巻き込まないでよ。東方緋想天であんな扱いにしたのは今でも根に持っているんだから」

「しょうがないじゃない。妖怪を退治するのは人間の役目なんだから。貴方が比那名居天子を真っ先にやっつけたら、それで話が終わってしまうわ。輝針城は、そうね、紅魔館の誰かが、出るかもね」

「咲夜ね」

「トップシークレット。あとは、わかさぎ姫とか、人里のろくろっ首とか」

「あの、柳の下で、人間のふりしている子ね。あれでばれてないつもりなのかしらね」

話を聞く限りでは、輝針城が月の民と関わるかどうかはわからなかった。アリスは、自身が開発している人形劇のシナリオは厳重に隠匿することで知られる。勝手に幻想郷の住民を出演させるため、いつもどこからか苦情が入るらしい。

「ところでパチュリー、さっきの話だけど」

「どの話」

「やっぱり、本で人を殴るのはよくないわ。知ってる? 本に顕れて字を食べる妖怪、字喰い虫を。殴った相手から感染したら大変だわ」

字喰い虫とは、本好きの天敵ともいえる妖怪だ。字が喰われなくても、本の中の字がかすれたり、隣のページに字が写ったりしてしまうのは、この妖怪の仕業なのだ。

「一応、防虫のお香は図書館中にめいいっぱい焚いているし、私の身体にも振りかけているけどね」

「ええ、知ってるわ。貴方、いつも物凄く黴臭い、よい匂いをしているものね」

「褒めてくれてありがとう。私の名を誉めてくれるのは、貴方くらいだわ」

魔界の懐かしくて美味しい珈琲を味わいながら、私たちは珍しく会話をおだやかに終わらせた。

 

 

…………………………

 

 

天界は静かだった。私が依頼していたロケットは見事に完成していた。

天女たちは建築技術もなかなかで、暇を持て余した変人、比那名居天子も、ロケットを飛ばすというので面白がって協力してくれ、天界にちょくちょく遊びに来ている鬼の伊吹萃香も面白がっていた。

かつて、三段ロケットじゃ帰りの分がないと文句を言われたことから、今度は南斗六星を模し、水鳥のように美しい六段ロケットである。

私は、天人の比那名居天子と竜宮の使いである永江衣玖に同乗を頼んだ。永江衣玖は月の都にも詳しく、道案内にぴったりだったのだ。しかし、行先が月で、目的が月の民との戦闘だと聞くと、とたんに二人は慌てて拒否しようとした。どうやら天人にとっても月人は容易ならざる相手らしい。有頂天の発射場の上に完成している南斗水鳥ロケットの前で、なんのかんのと押し問答していると、突然衣玖の雰囲気が変わった。

「わかりました。行きましょう。今、月の方から地震が起きるという予感を察知しました」

「地震? あそこは地上のような大地震は滅多に起きないと思うけど」

天子が訝しんだが、衣玖は意見を変えなかった。

「私にもわかりませんが、行かねばなりません。ひ弱な魔法使い、道案内してやるから、早く乗りなさい」

「私が今月へ行ったら、怒られるわ。だから私はいいや」

「いえ、総領娘様、あなたにも来るように、言われている、予感が」

「えーっ、仕方ないな。……って予感? それほんと?」

「早くいきましょう。ささ」

どういう風の吹き回しか、うまい成り行きになったようだった。その時、伊吹萃香が、餞別を上げる、と言い出した。

「なに? 貴方も行きたいなら一緒にどうぞ」

「遠慮しとくよ。魔法使いの身体から、幽かに珈琲の香りがしたのでね。香りを萃めてあげる」

そういって、萃香が能力を発動させると、私がアリスの家で飲み、幻想郷中に拡散した、あの魔界珈琲の香りが再び集まった。萃香はそれを符に閉じ込めると、護符だと言って、私に渡した。鬼から護符を貰うのは変な気分だ。

地上の梅雨雲を遥か下に見ながら、天界から六段ロケットは勢いよく飛び出した。

そして、私と比那名居天子、永江衣玖はあっという間に月面にある幻想の海の浜辺へ到着したのだった。

 そこでは、綿月豊姫、綿月依姫の姉妹と、玉兎たちが待ち受けていた。豊姫が言った。

「久しぶりね。パチュリー・ノーレッジ。二年ぶりくらいかしら。それから、そこの竜宮の使い。問題児を連れて来てくれてありがとう」

天子が衣玖を睨み、衣玖は慌てた。

「誤解です。私はこの方たちに何も報告していません」

長大な段平を構えた依姫が答えた。

「そう。私たちは報告を受けていなくてもこの事態が起きることを知っていました」

「私がここへ来たのは、地震がもうすぐここら月面で発生するという予知を得たからです。みなさん、危ないから逃げた方が」

「その前に、そこの天人に言っておく。貴方は愚かね」

依姫に言われて、天子が素直そうに俯いた。私はこの女にこんなことが出来るなんて、と驚いた。豊姫が続いてこういった。

「愚かなだけではない。性根が腐っている。天人なのに極めて卑しく、また穢れた思想の持主。まるで土着神のよう」

「……はい」

「最近も、地上にいらぬ介入をしては、あちこちに迷惑をかけた。このままではいずれ天界からの追放もある」

「……」

「いや、むしろ天界から追放されて地獄へ落とされた方が、お前のためかもしれない」

衣玖が思わず天子を見た。

「いけませんよ」

「何が?」

「だから、いけません」

「何のことかしら?」

天子はそう言ったが、内心では腸が煮えくり返っていただろう。常に地上を見下して生きてきた天子は、さらに上位の者から見下されることに慣れていないのだ。

「お前は、天人を高貴な存在だと勘違いしている」

「月から見れば、しょせん天界も地上も変わらない。愚かで穢れた者たちが蠢く場所でしかない」

「天人風情に地上をおもちゃにする権限はない。思い上がるな」

綿月姉妹は、たんたんと、天子を責めた。ついに天子が顔を上げ、その前に衣玖が立った。

「……ねえ」

「駄目です」

「叛逆よ」

「だから、駄目ですってば」

だが、天子は緋想の剣を地面に突き刺していた。綿月の姉妹が立っていた当たりの地面が上空へ突き上がった。まるで風水の術のようだ。だが、それを予想していたのか、姉妹は空高く飛び、攻撃を避けていた。月面の重力は地上の六分の一だ。全ての生き物は身軽に動くことができる。

「貴方、完全に嵌められたわよ。私があの二人と戦うつもりだったのに、余計な茶々を入れないで」

私が抗議すると、豊姫が笑った。

「私達は最初から、そちらの三人が同時に襲ってくることを想定しています。遠慮せずにかかってらっしゃい」

向こうは玉兎たちが陣を組んだ。

「しかたない。竜宮の使い、貴方は近接攻撃で。魔法使いは遠方から援護射撃。私は適当にかきまわすから」

天子が作戦のようでいて作戦になっていない指示を出した。

「蘭摧玉折(らんさいぎょくせつ)にならないようにね!」

そう天子が言ったので、敵も味方も呆れた。蘭摧玉折とは、美人や賢人が、魅力を発揮しないまま世を去ることを表す。豊姫が即座に言った。

「天人くずれ、お前は濫竽充数(らんうじゅうすう)の方だろう」

濫竽充数とは、無能な人物が、分不相応の地位に居座っていることを意味する。比那名居天子にぴったりだ、と思った。衣玖も同感に違いない。空気を読んで、衣玖が言った。

「とにかく、みんな雷霆万鈞(らいていばんきん)で行きますよ」

敵味方が、散らばった。

向こうは、依姫が挌闘をしに向かって来て、玉兎たちが援護射撃、豊姫が遊撃するようだ。

苦戦必須だった。天子の持つ剣は強力だが、月は静寂で、天候の変化がない。緋想の剣の特質がうまく発揮できないのだ。

私は空中に飛び上がると、近づいた眼鏡の玉兎の額目掛けて光弾を浴びせ、追撃の水符射撃を顔面にお見舞いし、着地する瞬間に拳を突き出し、その場で一回転してお腹の辺りに裏拳を叩き込むと同時に裏拳自体から射撃をし、水符の追撃射撃を撃ち込んだ。相手がひるんで反撃出来ないところへ持っていた魔導書を開いて、火球を召喚するサマーレッドを炸裂させた。身が軽い月面では、地上ではなかなか決まらないコンビネーションも簡単に決めることができる。

しかし、玉兎は無傷だった。スペースデブリの直撃を受けても無傷で済ます玉兎たちには、私の魔法などそよ風のように受け流したのだ。

天子も蹴り技の連携から宙返り蹴りまで繋げ、要石の射撃に緋想の剣の横薙ぎ、赤気を交えた二連斬撃からスペルカード、剣技「気炎万丈の剣」につなげる凄まじい攻撃をして玉兎を吹き飛ばした。

衣玖は、自在に伸びる不思議な羽衣を空中の玉兎に差し込んで撃墜すると、そのまま羽衣を使った三連撃を決め、さらに羽衣「羽衣は空の如く」を放って相手を絡め取り滅多撃ちにした。

私の方は、近づいて来たレイセンの攻撃を防ごうと空中へ飛び上がったところ、鈴仙・優曇華院・イナバと同じような銃弾の弾幕を撃たれ、空中で逃げ場がないところに、鈴仙の幻惑「花冠視線(クラウンヴィジョン)」そっくりの眼力レーザー攻撃をもろに喰らってしまい、後退した。予想以上に敵は、それも玉兎たちは強い。いや、あのレミリアたちを送り込んだプロジェクトスミヨシの時と比べて、明らかに強くなっているようだった。

豊姫が、余裕たっぷりに言った。

「地上とは、勝手が違うでしょう? それと不良天人よ。桃を帽子に載せたり、剣を地面に突き刺したり、私達と似ているところがあるのに、こんなにも差があるのはなぜかしら。コピーはオリジナルには勝てないということなのかしら」

天子は怒りのあまり、地面に剣を突き刺しまくって、土壁をあちこちに作ったが、もちろん相手には当たらなかった。しかし、壁際で逃げ場がない依姫に対し、私は、エメラルドシティからサテライトヒマワリ、拡散する火符の射撃を挟んで、相手を水流で下から突き上げるウィンターエレメントを当てて火金符「セントエルモピラー」に繋げる特大コンボを撃ち込んだ。依姫は、草の神である鹿屋野比売神を降ろして、樹木の根っこでエメラルドの隙間をこじ開けてそらすと、サテライトヒマワリを刀剣の神、経津主神の力で、フツッと切り裂き、ウィンターエレメントの水流は天水分神の力で左右に分け、セントエルモピラーを八咫鏡で反射させて、私は目が眩んでしまった。

どうやら、遊ばれているようだ。これは困ったな、と思った。

ならば、三値論理によって、Undefinedな魔法をぶつけるしかない。

私は、日と月の合成魔法で抵抗を試みた。

「日月符『ロイヤルダイアモンドリング』……の後!」

皆既日食の直前に見えるダイアモンドリングの後、世界は真っ暗になる。私は、暗闇を創りだした。

「三値論理でなんとかしようなんて、貴方の言語は古臭いわね。黴が生えているみたい」

豊姫が、量子テレポーテーションをしたのか、私のすぐ後ろに来て、そう言った。

「前に会った時は、素晴らしい魔法を見せてくれたわね。でも、私達の土俵で戦おうとするのは、無謀だわ。だって、私達がこの世を操作するために使っている本来の言語は、こういうものなのだから」

豊姫の身体から、四方八方に大量の†(ダガー)が飛び出した。よく見ると、大量の†は文字列の一部だ。

「これは、ブラーケット記法? 量子ビット演算のための高級な言語が、既に開発済だと……」

「違うわ。違う違う。いずれ人間に与えるために作り出した、量子ビットで計算する量子コンピューターのための言語なんて、貴方には失礼だから使わない。これは、この場から生み出しうる子宇宙、孫宇宙一つひとつの状態を利用して計算する、いわば宇宙ビットを使った宇宙コンピューター用の言語よ。それを使えば、貴方が創りだしたUndefinedもこちらが恣意的に前もって定義しておくことが出来る」

何を言っているのかさっぱりわからなかったが、豊姫がいる場所で、豊姫は無限の平行宇宙を同時に観測し、それらを利用する言語を使って、私の作り出した魔法を掻き消したのはわかった。さらに私は防御魔法を破られて吹っ飛んだ。重力の小さい月面でも、着ている服はずたぼろだ。

「例えば、コンウェイのチェーン表記を使って、三→三→三→三→三→三→三を考えた時、一の位の数が何になるか、すぐわかる?」

わかるわけがない。巨大すぎて、どのくらい大きいのかすらイメージがわかない。

「依姫、答えは?」

「ええっと……五ですか。多分、きっと、おそらく」

「もう、しっかりしなさい。貴方は、数学は駄目ね」

確かに、三の冪乗(べきじょう)の一の位は絶対に五になるはずはない、と思う。

「とにかく、パチュリーさん。貴方の魔法言語では、私たちを破ることは出来ないわ。弾の一つひとつが未知の物理法則を表しているような弾幕、受けてみる?」

言語合戦に敗れた私は、ガッツを失って負けを認めそうになった。悔しいが、勝てる方法が見つからない。しかし、豊姫の宇宙コンピューターが作り上げた人智を絶する弾幕が目の前に迫った時、破れた自分の服から、良い香りがした。萃香がくれた珈琲符だ。私はそれを引っ張り出した。

「弾幕でもなんでもない、良い香りがする御札よ!」

符を月の空気に晒すと、萃香の能力が付与された符が、清浄な戦場の風に、どこか土臭くて芳醇な香りを充満させた。

玉兎たちも天子や衣玖も、綿月姉妹も、いっせいにこちらを見た。

「自然現象プラス二で、マイナス二を相殺よ」

私は強がったが、その強がりを、豊姫は面白いと思ってくれたようだ。

「あら、やるわね。その地上的な良い香り、消すのは惜しい」

豊姫は、攻撃を止めた。私は、なんとか助かった。豊姫の攻撃を受けていたら、精神的に二度と立ち直れなくなっていたかもしれない、と思った。

 

私と綿月姉妹の互いの攻撃が止んだ隙に、天子はなんとか地球から気を引っ張り込んで、「全人類の緋想天」を放とうと準備し始めていた。当たりそうにもなかったが、あの技以外に有効打があるとも思えなかった。

「あの、そろそろいいんじゃないでしょうか。それよりも、もうすぐここら辺に地震が起きますよ」

衣玖が言うのを天子が遮った。

「不良天人の力を思い知るがいいわ」

天子の「全人類の緋想天」が発射された。綿月姉妹たちはそれを予想していたかのように上空に飛び上がり、天子は、気質の塊を上空の方へ飛ばした。赤い気が天空に当たりそうになった。

その時、豊姫が、霊力をこめた桃の実を、気の奔流の先へ投げつけた。

月面の結界が、一瞬にして砕けた。

あっ、と思う間なく、破れた結界から何か巨大な物体がこちらに向かって落下してきて、「全人類の緋想天」の気質の塊と当たり、凄まじい閃光とともにバラバラになって砕けながら地面に衝突し、巨大な地震が起きたのだった。

それは外の世界の暦で、二〇〇九年六月十一日三時二十五分十秒だった。

 

私の目の前が、真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと、あたりには天子と衣玖、そして何故か、幻想郷の困った妖怪、八雲紫と部下の八雲藍がぶっ倒れていた。

玉兎たちに介抱された後聞かされてわかったのは、日本国が月の探査という名目で打ち上げた人工衛星「かぐや」が頭上から降ってきた、ということだった。

私達は月の都にとって忌まわしい名前をもつ、衛星「かぐや」を始末させるために、衛星の落下地点におびき寄せられたのだった。

八雲紫と八雲藍は、落下地点にきちんと落とすために、かぐやに乗り込んでいたらしい。

砕けた衛星から放り出された紫は、まるで部下の藍が攻撃する時のモーションのように、凄まじい勢いでくるくる回転しながら墜ちると、あっけにとられていた比那名居天子と、頭と頭をぶつける見事な正面衝突をしたらしい。介抱していた玉兎たちを弾き飛ばして、天子と紫が、避(よ)ける避(よ)けない 、故意だ過失だ、どっちが愚かだ、と口喧嘩を始めた。依姫が私の傍にやってきた。

「ごめんなさいね。地上の民が、それも私達と関係の深い日本が打ち上げた衛星の破壊処理に、私達の手を汚すわけにはいかなくて。なにしろ、カグヤなんて名前がついているものだから。それにしても、パチュリーさん、本当の第二次月面戦争は、あのグレートマザーたちが集まった戦いは、とっくの昔に終わったのに、貴方はタイミングが悪い人ね」

依姫がそんなことを言った。どうやら、私はまたも、肝腎な部分でズレていたらしい。豊姫が、言い争う天子と紫を引き離しながら言った。

「八雲紫、ほら、千年ものの古酒を沢山もってきてやったわ。飲みなさい」

豊姫がそう言ったので、紫が扇子で口元を隠して、踵を返した。

「そんな不味い酒は要りません。幻想郷には美味しい酒が沢山あるんですもの。帰りますよ」

しかし、藍はすでに座って衣玖と一緒に桃を賞味していた。

「無駄よ。自力で帰るつもりなら、地球から見て満月の夜は四日も前なのだから、次の満月まで二十六日ぐらいあるわ。ゆっくりしていきなさい。命令よ、命令」

南斗水鳥ロケットは衛星「かぐや」の破片が直撃してバラバラになっていたため、私たちも豊姫の力に頼るしかない。

「貴方達をおどかして勝った勝利者に、負けた者が酒を振る舞って許しを請うというのなら、受けてもいいわ」

「あの馬鹿な真似をしたのは、貴方じゃなくて亡霊でしょう。あ〜あ、一億年ものの古酒も用意したのになあ。天人は飲むわよね」

「ええ、頂きますわ」

一億年、という言葉に紫が、一瞬、顔を隠している扇子を顔に強く押し当てた。悔しそうな笑顔を強く隠したかったのだろう。そして、パチン、と扇子を閉じた。

「藍、月の民が出した酒、飲むわよ。この者たちがいう、一億年の年月、その真贋を確かめなくては」

玉兎が千年の古酒を紫の杯へ注いだ。依姫が笑った。

「一億年ものを飲んだことのない者に、真贋など確かめられるはずがない。お前は、信じて飲み、一億年の味わいに感動して泣く以外の道は残されていない」

「泣かない って」

「泣くよ、きっと 」

天子が言った。そもそも、一億年の古酒が美味しいのかどうか、私にも見当がつかなかった。

その後ろで、豊姫がこんなことを言った。

「わかっていると思うけど、貴方の詠唱言語はあまりにも古風だわ。黴臭くて相手にならないの」

「古風? 古いんじゃないわ。自然言語の方はオリジナルよ」

きっと、月の民が使う魔法言語と私の魔法言語 では、外の世界の式神用言語に例えれば、アセンブラ言語とC++以上の差があっただろう。豊姫はじっと見た。

「印欧語のオリジナルを作ったのも貴方だってね。幻想郷は本当に面白いわね。月にいらっしゃらない? 印欧語族の祖神になれば、月で幽雅な生活が送れるわよ。そして、世界の文明を、貴方が望む方向へと矯正することも不可能ではない」

「黴臭いところが好きなのよ。それに幽雅じゃなくて幽閉の間違いでしょ。どちらにせよ幽かな存在に貶められるだけだわ」

豊姫は残念そうな顔をした。

「いえ、黴臭いだけじゃないわ。地上のこんな匂いが好きなのよ」

私は、香りが薄まってしまった珈琲符をひらひらとかざした。 

 

私は、論理ではすぐには解けなさそうな珈琲の香りを嗅いだ。そしてこの香りのような、真に幻想的で真に魔術的な、魔法言語を創ることを心に誓ったのだった。 

 

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