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第十三章

夜明け7 星のイド Imperishable Trouble Shooting

儚い月、儚い日、そして儚い星 〜 Impermanence

 

 

ご存じのように、日本には各地に深井戸があり、その中に〈星の井戸〉とか〈月の井戸〉と呼ばれる例があります。これらは名の通り、昼間でもその深く暗い水面に月や星が映るのであります。

荒俣宏『帝都物語』より

 

星を感じた。そして、星を感じている自分がいた。

しばらくして、光たちは弾け、渦になって遊び始めた。みんな笑いながら、くるくると廻(まわ)り、ぐるぐると廻(めぐ)る。

 

しばらくして、その光たちの一つである私は、生まれたばかりのぎらぎらする火を見る。その光は、私とぶつかって、挨拶をした。

「こんにちは。私は日の光よ」

あの火は、日というのだ。私たち星の光と何が違うのかわからないが、確かにちょっと違う。生まれたばかりだというのに、日の光は、世界を怖がりもしない。私は相手の光にどぎまぎしながら答える。

「こんばんは。私は星の光よ」

すると、相手からすぐさま突っ込みを入れられた。

「違うわ。日の光が目の前にいるのだから、こんにちは、でしょ」

「え〜。星の光が目の前にいるのだから、こんばんは、じゃないかしら」

私たちは、むう、と考えてしまう。私たちのまわりでは、星の光と日の光が互いに相手を避けて飛び回っている。その中で、私たちは連れ立って会話をした。これは面白い。楽しい。

 

しばらくして、私と日の光の眼下に、大きくて真っ赤な珠と、小さくて真っ赤な珠が生まれた。ぐつぐつと愉快な音を立てて転げまわる二つの珠は、やがてぶすぶす言い、ざわざわし始め、大きな珠は真っ青に、小さな珠は真っ黄っ黄になり、黄色い方の珠は、お腹を膨らませたり萎ませたりしながら、不思議な光を生んだ。

私たちが真ん丸になった黄色い珠を見ていると、何か気配を感じ、あれっと思う間もなく、珠の方からやってきた光とぶつかり、驚く。

「あいたた」

思いきりよくぶつかって痛がる黄色い光に、日の光が言った。

「痛いのはこっちよ」

私も負けじと言った。

「違うわ。痛いのは私」

相手は止まってぐるぐると辺りを見渡した後、泣きそうな声で言う。

「違うと思うの。痛いのは私だったのよ」

日の光が怒る。

「それは嘘よ。痛かったんだから」

「違うよ〜」

私は相手の光に、自分たちと近しい何かを感じている。

「待って待って。貴方は何者なの?」

「私は月の光。私は嘘なんて言ってない。青い珠へ遊びに行こうと思ったら、何かにぶつかって、痛かったの」

日の光が、へええ、と不思議がる。

「何かって、何にぶつかったの?」

「わからないわ。気付いたら、目の前に貴方たちがいたの」

あの珠は月というのだ。青い珠へ行こうとしていた月の光を止めてしまったのは悪かったな、と思う。

「私は星の光。こちらは日の光。私たちも青い珠へ降りたことはないわ」

「そう。私は日の光よ。どうしてあそこへ行こうと思ったの?」

「だって綺麗じゃない。きっと素敵なところなのよ。一緒に行ってくれれば心強いわ」

私と日の光は、とたんに青い珠へ行く気になる。私の心が弾む。

「そうしましょう。そうしましょう」

 

しばらくして、緑あふれる森の中で、私たちが楽しく遊びながら毎日を過ごしていると、人間の子どもたちが森にやってきて一緒に遊ぶようになる。子供は日の光をサニーミルク、月の光をルナチャイルド、そして私をスターサファイアと呼び始める。素敵な名前だと思う。人間の子どもと遊んでいるうちに、いつのまにか私たちも人間と同じような姿になっていることに気付く。人間と違うのは、私たち三人に羽根が生えていることだ。なんて素敵なのだろうと思う。

 

しばらくして、人間の大人たちが森にやってきて、私たちをフェアリーだ、エルフだと言い始める。私たちは自分たちの種族が妖精なのだ、と理解する。ただの光ではなく、光の精だったのだ。自分たちが何者なのか、誰にもわからなくても、妖精という名も悪くないな、と思う。そして、妖精の本分がいたずらにあることを知り、人間にちょっかいをかけ、人間の食べ物に味を占める。

 

しばらくして、人間の大人たちが森を切り始める。私たちが棲家を失って逃げ惑い、無我夢中に走っていると、いつの間にか少し気候の違う森の中にいることに気付く。そこには逃げてきた妖精たちが沢山いて、ここは妖精の楽園なのかもしれないと思う。原始林のような森の中で私たちは大きな樹を見つけ、住むことにする。私たちがいつの間にか迷い込んだこの土地は、幻想郷。そして住み着いた森は魔法の森と呼ばれていることも知る。近所に住む人間も、以前の森を切ろうとした者たちとは違う。私たちを馬鹿にしつつも、森を荒らさない。ならば、私たちがすることは決まっている。いたずらの再開だ。

私たちの役割は自然と決まっている。まず、ことが始まる段階では、言いだしっぺのサニー、それを乗せる私、醒めた突っ込みを入れつつ呑まれてしまうルナ、と別れている。ことが進んでいる段階では、言いだしっぺなのにちょっと怖気づいてきたサニーと、そのサニーに文句を言うルナ、そして二人の悪戦苦闘を眺めて楽しむ私、と別れる。この段階に来るとサニーとルナはしょっちゅう喧嘩をし、服を摑んだり頬をつねったりと凄いことになるので、そんな時は楽しくってしょうがない。逃げる時は、まず私が周囲の気配を感じ取り、サニーが私たちの姿を消し、ルナが音を消すものの、どこかでドジを踏む。これが大まかな工程だ。

 

しばらくして、小さな女の子が近所の神社、博麗神社の巫女を務め始めた。名は博麗霊夢といい、私たちにとってはいたずらの恰好の的だ。最初のころは、神社へ花見に来る客を遠ざけたり、雨の音を消して晴れたと思わせて騙したり(ついでにサニーとルナへの落雷を見て楽しんだり)、単純ないたずらを仕掛けて遊ぶことで満足していた。神社は幻想郷の数多い遊び場の一つに過ぎなかったし、博麗霊夢はいたずらを仕掛ける数多い人間の中の一人にすぎなかった。

それがちょっと変わったのは、彼岸の日に森の中を墓地へ向かっていた霊夢に対し、道に迷うよういたずらを仕掛けた時に起こった。森の中を走る川に、霊夢を嵌めてやろうと思ったのだ。私たちは光を屈折させて川面を地面のように見せ、せせらぎの音を掻き消し、上手く霊夢を川へ誘い込んだ。ところが。

霊夢は、真っ直ぐ、川を渡った。よく見ると、魚たちが偶然、霊夢が踏み込む足元に浮かび上がるような泳ぎ方をし、それが道になったのだ。おそらくあの時、私たち三人にとって、霊夢は特別な人間になった。人間の言葉で表せば、惚れた、のかもしれない。

その時から、私たち三人の家には不思議な物が集まり始める。もともと怪しい物を拾い集める癖のあるルナだったが、ある時、月から落ちてきた旗を拾ったのだ。横に長い長方形の中に、紅白の横縞が染め抜かれ、左上の隅には青地に白い星がいっぱい描かれている素敵な旗だ。ルナは自分たちの家を「地上の月」にするのだと息巻いた。

そして、私も宙(そら)から隕()ちてきた石、それも鳥居が刻まれた石を神社で拾うことになる。それは、聖地の場所を示す石。いや、鳥居が刻まれた石が落ちる場所のことを聖地と呼ぶのだから、逆だが、とにかく大変なマジックアイテムを拾ったのだ。私は、神社に星が落ちたことで、いずれ私たちも神社のそばに住むことになるかもしれないと思った。後にその予感は当たることになる。

そして、私たちは、極めつけの珍品「大きな卵」を手に入れることになる。それは自分たちの胴回りよりも大きく、何の卵かまったくわからなかった。元々はそれも神社で巫女がどう食べようか悩んでいたものを盗み出したものだが、私たちは結局割ることが出来ず、卵は放置された。

こうした不思議な物が集まったせいか、私たちは他の大勢の妖精とはちょっと違った存在になっていたようだ。幻想郷には妖精はうじゃうじゃと沢山いて、それこそ天地の間を埋め尽くすばかりであるが、人間に強く認識される妖精と気をつけていないと認識されない妖精がいる。姿や音を隠す能力を持っているのだからおかしなことだが、私たち三人は、人間に認識される確率が他の妖精よりも高いのである。それは、数多くの妖精の中で、私たちだけパーティなどに呼ばれて好い目にあったり、私たちだけ騒動に巻き込まれて酷い目にあったりすることを意味した。きっと、霊夢たちと頻繁に交流したことが原因なのだろう。

 

しばらくして、いつものように暑い夏を迎えることになる。その時、私たちは近所の魔法使い、霧雨魔理沙の家に忍び込んでいたずらすることを考えていた。

魔理沙と面識を持ったのは、その年の梅雨だった。住まいを蔦に覆われてしまう騒動に巻き込まれ、私はこの時、大事に育てていたキノコの盆栽を失う大損害を被ったのだ。私たちは、森に住む魔法使いアリス・マーガトロイドの紹介で、霧雨魔理沙に仕事を頼んだ。これが馴れ初めである。

原因となったツチノコを追っ払う(?)ことで、無事(?)解決に導いたのだから魔理沙は悪い人ではないと思ったのも束の間、光る苔を探しに玄武の沢へ行った際、魔理沙にしてやられてしまったのだ。そこに居合わせた魔理沙から「洞窟に住んでいる玄武様を怒らせた」と脅かされて慌てて逃げ出し、沢でこけたルナがずぶ濡れになったのである。その時は「玄武様」とやらに食べられないよう必死に逃げたが、よく思い出してみれば、脅かした魔理沙本人は逃げ出しもせず平然としていた。それを後から思い出し、騙されたとわかったのである。サニーは、いたずら妖精にとっていたずらをされることほど屈辱的なことはない、と怒り出し、仕返しをすることに決めた。 

サニーは日の性質がそうさせるのか、活動的だ。一人で遠出することも平気で、私やルナが行った事がない場所のこともよく知っている。珈琲を飲みながら新聞を読む妙な趣味を身に着けたルナとは違う。

魔理沙の家、霧雨魔法店には、蔦の件で訪れたことがあった。サニーの行き当たりばったりな計画に沿い、玄関まで姿を隠して近づくと、家の中に二人分の気配がする。ルナが音を消しているため、自分たちの声もいつもと違う音響で聞こえる。

『サニー、ルナ。妙だわ。中に二人いる』

『魔理沙とツチノコでしょ。それよりどうやって入ればいいのかしら。煙突かなあ』

サニーが言う。ルナが愚痴をこぼす。

『今さらそんなところで悩まないで。だいたい、煙突じゃ煤けちゃうじゃない。コソ泥の王道は床下よ床下』

(いつの間にコソ泥が王様になったのかしら)

そう思ったが口には出さない。

『ツチノコとは別にもう一人、人間のようなのがいるのよ』

『床下こそ身体が土まみれになっちゃうじゃない。ちゃんと考えて』

『何よ。自分だって何も考えてなかったくせに』

『何よ』

『このー』

二人は玄関の前で服を引っ張り合い、思わず私の頬が緩んでしまう。しかしその時、家の中で気配が動くのを感じ取る。

『しっ、二人とも。家の中から一人出て来るわ』

その時、霧雨魔法店のドアが開き、紫色の服を着た少女が飛び出した。どんくさいルナは、開いたドアがお尻にぶつかり玄関の右脇に倒れた。その少女の帽子についている三日月の飾りが、ルナと共鳴したのかキラリと光った。

「今、ドアが何かにぶつかったような……?」

「やっぱり気が変わって贈呈する気になったか」

「馬鹿なこと言わないで。あの本、アリスに貸したのは間違いないんでしょうね」

室内から応じる声がした。

「ああ、間違いない。もう貸してから大分経つが、なにしろ解析するのはあの永琳が創った薬だ。行っても返してくれないかもしれないぜ」

「持ち主は私よ。勝手に又貸ししたことを問い詰めるために、アリスを連れて帰ってくるから、ここにいなさい」

「その前に道に迷うなよ。ここら辺は、道を迷わすたちの悪い妖精が住み着いているからな」

ふん、と鼻を鳴らすと、少女はアリスの家へ飛んで行った。私たちは姿と音を隠しながら、開け放しのドアから中へ潜り込んだ。

「あいつ、ドアぐらい閉めていけよな。慌ただしい奴だ。さて、二人してやってくる前に神社あたりへ遊びに行くか」

魔理沙はそう言って、箒を手にし、幅広の魔女の帽子へと手を伸ばす。私とサニーが壁沿いにこそこそと歩く後ろで、バタン、と大きな音が響き、ビクッとする。

うわあ、と思ってルナを見ると、泣きそうな顔をしている。当然のように魔理沙がこっちの方をさっと振り向く。

「おや? 風もないのにひとりでに扉が閉まったぞ?」

ルナがいつも通りドジを踏んだのだ。

『もう。何やってるのよ』

魔理沙は持っていた箒を元に戻してしまい、私の語気が荒くなる。

『違うの、ドアが独りでに閉まって……ううう……』

『ルナ、スター、机の下に隠れるわよ』

光を曲げる能力は、屋外から室内、日中から夜間になると弱まってしまうのだ。そこでなるべく見つからないように、四脚テーブルの下の真ん中で固まることにする。

「おかしいな。天狗の仕業か?」

魔理沙は玄関の内と外を行ったり来たりしている。

『さっきの出て行った人も帰ってくるわ。おまけにあのアリスも連れてくるって』

『どうしよう。どうしよう』

これでは自由に探索することなど出来はしない。その時、サニーが、あっ、と声をあげた。

『サニー、名案が浮かんだ?』

『さっきの人、パチュリーという人だ。紅魔館で会ったことがある』

『へ? パチュリーって、あの甘くて黴臭いお香の?』

『そう、そのパチュリー。幻想郷全体が紅い霧に覆われたことがあったでしょ。私は悔しくて、霧が晴れた後に、異変の原因を探しに行ったの』

『霧が晴れた後なら原因はもうなくなっていると思うけど』

ルナが突っ込みを入れた。サニーは気にしない。

『それが、怪しい場所を見つけたの。それこそが紅魔館。あの時には、雨が降っていてね』

『紅魔館て、幻想郷中雨が降っていてもそこだけ雨が降らないような建物じゃなかったっけ? だからサニーは、梅雨の時期の別荘にしようと言い出したんじゃないの』

『そうなのよ。変でしょ? あの時だけは、見渡す限り真夏の青空だったのに、紅魔館にだけ雨が降っていたの。これは何かあるなと思って館の数少ない窓から中を覗き込むと……奇妙な羽根を生やし、黒く捻じ曲がった杖を持った恐ろしげな悪魔が、神社の巫女と壮絶な弾幕戦をしていたの。この世のものとは思えない光景だった。きっとあの悪魔が、紅い霧の異変を引き起こしたのよ』

『うーん、そうなのかな? まあ、それでパチュリーと言う人は?』

『で、私は慌てて館の反対側に回ると、そこにさっきの人が、テラスのパラソルの下で午後の紅茶を飲んでいたわ。「雨を降らせる魔法は久しぶりだったから疲れた」とぶつぶつ呟きながら。そこに、私も雨宿りさせて欲しいと飛び込んで、お茶とお菓子を』

『ずるーい』

『その人は物知りで、幻想郷の迷いの竹林は外の世界の高草郡が山津波で運ばれたものだとか、私たちが住む魔法の森にも同じような伝承があるとか、色々と教えてくれたわ』

『どうりで、竹林で迷った時、サニーにしては物知りすぎると思ったわ』

自慢げに話すサニーと、合いの手を入れている私に、ルナが冷静に突っ込んだ。

『で、今の話は、この状況の打開に役立つ情報だったのかしら』

『何にも役に立たなさそうね』

私は笑って言った。

このように三人であーだこーだ言っていると、パチュリーがアリスを連れて帰って来る声が聞こえた。

「あら、まだここにいたの? 絶対に神社へ行ったと思ったのに」

これはアリスの声だ。

「逃げずにちゃんと待っていたわね。えらいえらい。アリスとの賭けは私の勝ちね」

パチュリーが勝ち誇った声を魔理沙に投げかけながら、ドアを開けた。

「私が逃げるわけがないだろう」

「じゃあどうして帽子を被っているのかしら? 逃げようとしていたら、風もないのにドアが勝手に閉まったので、用心して出られなかったんでしょ?」

「あれはお前の仕業だったのか」

「木符の魔法をちょっと掛けてから出たの。ドアを開けっ放しにしちゃ悪いからね」

パチュリーはそういうと、魔理沙の帽子を取って帽子掛けに掛けた。アリスは椅子を引いて座ると、持っていた大きな本を、私たちが隠れているテーブルの上にトン、と置く。

「この家は永夜異変で泊まり込んだ時以来、久しぶりだわ。ちっとも変わっていない。……いえ、微妙に物が増えているわね。あそこの籠に入っているのは蛇?」

「槌の子(ツチノコ)だ。研究も終わったし、そろそろ自然に帰してやろうかと」

「食糧が馬鹿にならなくなったんでしょ。野槌の子は大喰らいだって」

パチュリーもそう言いながら椅子に座り、紅茶のカップを持ってきた魔理沙まで座った。長方形のテーブルの片側の中央に魔理沙が、逆側にパチュリーとアリスが座り、魔理沙が逃げ出さないよう、テーブルの周りをアリスの人形がぐるりと取り囲んだ。逃げられなくなった私たちへさらに魔法使いたちの膝が迫り、大ピンチだ。

「この本は返してもらうわ。まさか、私が気付かぬ間に一冊盗まれていたなんて迂闊だった」

「借りただけだぜ」

「私も魔理沙から借りたこの本がまさか盗品だったなんて……」

アリスのその声を聞いて、パチュリーが足をぶらん、と前に出して、慣性で座っている椅子をテーブルへ寄せようとした。靴のつま先が、ルナの背中に当たり、声が上がる。

『あっ』

「貴方は知っていたでしょ。……ん?」

パチュリーが両足を伸ばしテーブルの下を探り始め、ルナは這いつくばって足の探索を避けようとする。

「……知っていたけど。って、貴方、足癖悪いわね」

パチュリーの右足のかかとがアリスの脛に触れている。

「ごめん。気のせいかしら。何かを足が触った気が……」

パチュリーはとうとう椅子を少し引いてテーブルの下を覗き込んだが、サニーの能力のおかげで私たちは見つからずに済んだ。魔法使いたちの会話が再開される。

「……ついでに訊くけど、アリスはなぜあの本を持って行ったの?」

パチュリーが足を引っ込めたので、ルナがほっとして起き上がる。魔理沙の足の前に座る私と、アリスの前に座るサニーは気が気でない。

「いい機会だから日陰者も知っておくといいわ。竹林に住むあいつに私たち魔法使いがいかに馬鹿にされたか」

「竹林て、私とお前で永琳と戦ったことか。何を言われたか覚えておらんが」

「魔理沙は、永琳との戦いがトラウマで記憶を失っているのね」

「うるさいな!」

魔理沙が怒鳴ると同時に、魔理沙の左足がアリスの左膝あたりを蹴ろうとして、私の額に当たる。

『きゃっ』

そのまま私は横にいるサニーにぶつかり、サニーはアリスの右足へ倒れ込んでその甲に手をついてしまう。

「ああ、足癖が悪いのが誰かわかったわ」

アリスが笑ってから続ける。

「いい、永琳の奴はこう言ったの。『あなた達は古代の力のコピーを使用しているみたいね。まだ人間が居なかった時代の無秩序な力。あの頃が懐かしいわ。能力にも特許を認めるべきかしら』ってね」

おそらく永琳と呼ばれる人物の口調を誇張したのだろう。アリスの言い方は極めて傲慢だ。

「私の友達は、『ガキのくせに』とか言われて逆上しちゃって、やりすぎたと言っていたわ。挑発の天才なのかしらね。って、痛い!」

パチュリーが喋っている間も魔理沙は不機嫌に足をぶらぶらさせており、ついには右足でパチュリーの左足を横から蹴り始める。ルナは当たらないよう床の上で縮こまっている。

「なんだアリス、お前も足癖が悪いのか」

「私じゃない」

「ブーツ履いたままで蹴らないで。痛いじゃない」

アリスが冷静に突っ込みを入れる。

「まるで裸足で蹴られるのはいいみたいな言い方ね」

そう言いながら、アリスは器用に足だけをつかってブーツを脱ぎ始める。靴紐が魔法の糸で出来ているのか、するすると緩んでいくのだ。サニーが困った顔をする。

『どうしよう。嫌な予感がする。逃げられないかな』

『アリスの人形が周りを囲んでいるから無理ね。ルナのように亀になるか……』

そう思ってルナを見ると、なんとパチュリーまで靴を脱ぎ、両足の指でお互いの靴下を器用に摑み、するりと裸足になっていくのが見える。ルナは泣きそうな顔をしている。一方、アリスとパチュリーを蹴ったつもりになって満足したのか、魔理沙の口調が明るい。

「そんなことはどうでもいいぜ。永琳の奴、私たちの魔法を劣化コピーだと思ってるんだな。酷い奴だぜ。……あっ」

魔理沙の言い終わり目掛けて、アリスとパチュリーが魔理沙の両脛をそれぞれ同時に蹴り込み、ゴッ、という音がして魔理沙の椅子が揺れる。私の鼻先をパチュリーのつま先が掠め、ヒヤリとする。ルナが泣き声で何か言い始めた。

『思い出した。この人たち、弾幕だけじゃなくて殴り合い蹴り合いも大好きなんだ』

『そういえば、毎日神社で宴会をしていたと思ったら、ある日突然、境内で殴り合いを始めたのを見たことがある』

この幻想郷に住む少女たちの一部は、殴ったり蹴ったり刀で斬ったりナイフで刺したりすることも、大好きだったということを思い出した。その一部に属する少女が、椅子に座っている三人なのだ。

「魔理沙の言う通りね。私たちをパクリ魔扱いは許せないわ」

平然としているパチュリーとアリスに対し、魔理沙の口調には悔しさと蹴られた痛みが入り混じっている。

「だけどさ、あの時は二対一だったじゃないか。二対一は卑怯だよな」

痛がりながらの魔理沙の意見は無視され、パチュリーとアリスが話し始める。実に楽しそうだ。

「許せないでしょう? だいたい、永夜異変の顛末だっておかしいのよ。満月を奪う異変を起こしたのはあいつらじゃない。なのに、夜を止めた異変の方が一大事のように扱われて、おまけに永夜異変を解決したのは蓬莱山輝夜ってことになっているのよ。だからね、私は月の連中に、自分の魔法がコピーなんかじゃないってこと、思い知らせてやりたいのよ」

アリスが喋っている間に、魔理沙も、手をこっそりテーブルの下へ忍ばせて、ブーツに靴下と脱ぎ始める。前かがみの姿勢で目の前の魔法使い二人にはばればれのはずだ。しかし、パチュリーは魔理沙の方を見ないようにしているのだろう。素知らぬふりをしてアリスに訊く。

「どうやるの?」

「何か面白い悪夢が見られる薬はないかって相談して、永琳から薬を貰って来たの。『胡蝶夢丸ナイトメア』という薬を」

「なるほど。それでこの本を借りて行ったのね。永琳が調合した薬を分析するために」

会話と並行しながら、パチュリーの素足がアリスの素足へと近づく。そしてアリスの左足の甲にパチュリーの右足の人差し指が何か文字を書き始める。きっと魔理沙の足と戦うための足コンタクトだ。一方、魔理沙はなかなか靴が脱げず、両肩までテーブルの下に入れてゴソゴソしている。あまりに挙動不審である。

「ご明察。なんとか分析は終わったわ。後は、胡蝶夢丸ナイトメアそっくりの薬を精製して、永琳の奴に飲ませるだけ」

「なんて名前のどんな薬効の薬なの?」

「詳しくは明かせないけど、この世界の理を全部ひっくり返すことが出来る薬よ。名前は『上海アリス幻樂丸』と名付けようかと思っているの」

パチュリーは、両足の指で靴をそれぞれ器用に摑み、ぶらんぶらんし始めた。そして、勢いをつけてくるぶしにスナップを効かせると、魔理沙が自分の靴へ伸ばしている両腕の辺り目掛けて、靴を放り投げた。宙を舞った二つの靴は、ルナとサニーの鼻に当たった。パチュリーが残念そうに溜息をついた。魔理沙に反応がないので、靴は当たらずに落ちたと思ったのだろう。

「そう。アリスのやり方は良い方法だと思う。私も、魔法使いの誇りはオリジナルを尊重した創作にあると思っているから。でも、人形遣いの貴方が薬の精製に手を出すとは意外ね」

「相手の得意分野で見返してやらないと面白くないわ」

その時、魔理沙の足元に靴下が二つ、バサバサと落ち、両足がぱっと開いた。魔理沙の十本の足の指がぐねぐねと動いた。準備運動か何かのつもりだろうか。

「相手の得意分野でないと面白くない? 違うな。お前は自分の得意分野で負けたら後がないと思っているだけだ」

そう言いながら、魔理沙は両足を思いっきり伸ばして、アリスとパチュリーに足をそろそろと突き出すと、二人の膝のあたりを親指の爪でひっかいた。その時だ。アリスとパチュリーは、見計らったように両足の平で魔理沙のそれぞれの足を捕え、引っ張った。引きずり込まれた形の魔理沙は、ずるっと滑って顎をテーブルにぶつけた。ゴッ、と痛そうな鈍い音が霧雨魔法店に響いた。パチュリーは痛がる魔理沙などまるで存在しないかのように話を続ける。

「私も、アリスとは違う方法で、月の民に自分の魔法を見せつけることを考えているの」

「あら、それは興味があるわ」

「うちの吸血鬼も永琳や輝夜と会って以来、本格的に月へ行くことを考え始めていて、私もそれを実現してやろうと」

「そんなことがお前に出来るのか? 宇宙には空気がないって話じゃないか。月に着く前に窒息しちまうのが落ちだと思うがな」

なるべくおだやかな声を作って会話している、そのすぐ下では、非力な魔法使いの三人が全身全霊を込めて足の引っ張り合いをしていた。普段部屋から出ないせいか、六本の足は血管が透き通るほど青白かった。それが打撃や摑み合いで、部分的に赤く染まっていく。

「魔理沙の言う通り、空高く昇って行けば、空気がない世界が待っていると言われている。でも、それは事実ではないのかもしれない。私は、レミィと咲夜から聞いた話でそう確信した。魔理沙もアリスも体験したから知っているはずのことよ」

流石に二対一では分が悪いのか、魔理沙の体の筋肉が震えはじめた。その時だ。パチュリーとアリスが、魔理沙の足をパッと離した。

「うわっ」

魔理沙は後ろへ倒れそうになってテーブルの端を摑み、テーブルごとズズっと下がった。紅茶のカップから零れたのか、ビチャビチャと水の音がした。危うく難を逃れた魔理沙とその椅子が元に戻ろうとするが、そこには引かれたテーブルがあった。

「ぐえ」

魔理沙はお腹をテーブルへしたたかに打ち付けた。

「なんてお行儀の悪い」

「もう少しでこの貴重な本が紅茶塗れになるところだった」

「ここは私の家だ。だから私の行儀がそのまま良い行儀になるんだぜ。定義だ」

(定義?)

この場にいる五人の気持ちが一致したのがわかった。魔理沙は続ける。

「で、私とアリスが体験したことってのはなんなんだ?」

「レミィの話では、永琳に偽の月へ誘導されたそうね。その時の通路は何だった?」

「ええと、馬鹿みたいに長い廊下?」

「あー、そういえばそうだった気がするな。でもあれは全部幻影だったぞ?」

「永琳は、古い月そっくりの偽の月を天蓋に映した。ならば、あの廊下もかつて実在したのではないかしら」

「あ、そうか……」

「ほう。それは面白いな」

「私が文献で調べると、まさに該当するものを見つけたわ。太古の昔、神々が地上と行き来するために使った、巨大な梯子、『天浮梯(あめのうきはし)』あるいは『天掛橋(あめのかけはし)』と呼ばれるものを。それが、貴方たちの通った廊下の名前よ」

「でも、今は存在しないんだろ?」

「そうね。丹後国風土記によれば、今はその残骸が丹後国の湾に浮いているだけだというわ。神々の交通量が多すぎてパンクして壊れちゃったという言い伝えが残っているわね」

「最近外の世界では、渋滞した道路で玉突き事故が発生しているようだけど、昔にもあったんだ」

「玉突き? 弾幕ごっこみたいな楽しい事故が外の世界にもあるのか!」

「ただ、私は、その伝説は正しくないと思っているの。本当は、意図的に破壊されたんじゃないかしら。安易に月と地上の行き来が出来ないように。そして月の民が、地上と交流するための技術を独占するために」

魔法使いたちは真剣になって会話をしつつ、テーブルと椅子の位置を元に戻し、再び交戦する構えを見せ始めた。まだ続ける気なのだ。

「ふうむ。しかしな。あの廊下、お前の手には負えないんじゃないか。月まで伸びる梯子を建てようと思ったら、私が生きている間は完成しそうにないな」

「早とちりしないで。私は何も、天浮梯を再建しようと考えているわけじゃないの。重要なことは、梯が壊れた後も、月と地上を繋ぐ通り道は残っているはずだ、ということよ」

「ん? どういうことだ?」

「なるほど。つまり、天浮梯があった場所には、月まで伸びる空気の通り道があると」

「流石ね。だから、ルートを見つけて、月まで行ける船を飛ばせば、きっと月には無事辿り着く」

「嘘くさいぜ。宇宙に空気がないって方が、信憑性がある」

魔理沙が、機は熟したとばかり、蹴りを繰り出し始めた。

『わっ』

『痛っ』

『ひええ』

私たちは、魔理沙の足に勢いよくど突きまわされた。その魔理沙の足を再度捕まえようと、アリスとパチュリーの足も縦横無尽に動き回る。少女たちの美しい足が、私たちを引っ掻き、抓り、突き、絡みついた。まるで猫の喧嘩に放り込まれた気持ちだ。

しばらくして、流石に様子がおかしいことにテーブルの上も気付き始めた。

「おい、アリス。人形を使うのは反則だぜ」

「なんのことかしら」

「嘘つくなよ。……あれ、おかしいなあ」

テーブルの下を覗き込んだ魔理沙が怪訝な表情を見せる。

「ま、反則かどうかなんて決まってないし、そっちも変な魔法をさっきから使っているじゃない。今度はこれで行きましょう」

「そうね。魔法は解禁」

パチュリーは、なんと裸足の指を使って空中に魔法陣を描き始めている。さらにアリスの足の指から魔法の糸が伸び、スカートの中に入っていく。サニーがつられてアリスのスカートの中を覗きこみ、驚きのあまり尻もちを搗いた。

『アリスのスカートの中、人形がぎっしり詰まってる!』

『どうしよう。早く逃げないと』

アリスの能力なら両手だけではなく両足の指でも人形操作が可能らしい。テーブルの下の狭い空間で、六本の足が複雑怪奇にくねっている。きっと、魔界とはこういう場所なのだろう。私たちは逃げる道を探そうときょろきょろするが、この八方塞がりの状況ではどうすることも出来ない。

魔理沙の両足から、星弾がばら撒かれる。しかしパチュリーとアリスはすでに鉄壁の防御魔法を敷いていて、星弾は魔法陣や人形の防御陣形で反射し、私たちは両側から攻撃を受け続けてしまう。

『いたた』

『スター、なんとかしてよ。同じ星同士』

『数が多くて処理しきれないわ』

「お前たちの話はまだるっこしくて聞いてられないぜ。薬を作って飲ませるとか月まで船で行くとかさ。私はもっと幻想郷らしいやり方で、月の民を圧倒してやるよ。弾幕の美しさによってな」

魔理沙が力説を始めた。テーブルの下では弾幕の洪水で大混乱になっている。

「なあ、アリス。永夜異変の後、自主的に集まってスペルカード大会が行われたのを憶えているか?」

「ああ。竹林に行って弾幕戦の相手を見つけて『敵にスペルカード戦をお願いできる』特別ルール、スペルプラクティスと呼ばれていたっけ? 思い出したわ。とっておきのラストワードをみんな出したりして」

「あの時は誰も口に出さなかったが、お前も気付いていたんだろ? あれは、幻想郷に月の使者がやって来た時のための準備だったと。紫は宴会で永琳に、幻想郷は結界に守られていて入って来られないなんて言って誤魔化したけど、それが嘘っぱちだってみんな知っていたんだ。何しろ、鈴仙とかいう月の兎ですら、紫にも永琳にも知られずに竹林に潜り込めたんだからな。だから、大慌てて弾幕の練習を始めた。わかっているはずだろ? 幻想郷の者にとって、月の使者と対抗する手段は弾幕の力と美しかないと」

「こっそり『力』を追加したわね。ま、今思えば、月の使者は来なかったから杞憂だったけど」

アリスの人形が回転を始め、そこから飛び出た緩急さまざまな速度の弾が、複雑な幾何学模様を描いた。それを見抜いたがごとく魔理沙が言った。

「お前のラストワード、『グランギニョル座の怪人』なんて酷いスペルだったよな。あれ、完全にハッタリ弾幕で、ほとんど霊夢対策で練られたようなスペルだったじゃないか。あれが月の使者に通用したとは思えないな」

きっと、今、テーブルの下で私たち三人を苦しめているこの弾幕が、「グランギニョル座の怪人」なのだろう。その時、パチュリーがぱさっと本を開く音を立てた。

「そんなこと言っちゃって。ええとなになに、『アリスも、不可能に見えるが遊びとして成立する弾幕、を考えて、こういう結果になったのだろう』……ちゃんと評価しているじゃん」

「おい! それ私の秘密のノートじゃないか! 何、勝手に人の本読んでるんだよ!」

「秘密って……そこの本棚に入っていたよ。さっき魔理沙が下向いてごそごそしていたから、その時抜き出しただけ。アリスも読む?」

「ええと。んん〜? 魔理沙って本当に弾幕馬鹿なのね。このノート、弾幕のことしか書いてないわ」

魔理沙は足を引っ込めると、片足を椅子の上に、もう片足の膝をテーブルに載せた。パチュリーが持っている本を奪い返そうとしたようだ。

「そんなに必死にならなくても返すよ。他人の本は勝手に盗んで勝手に読むくせに、自分の本を読まれるのは我慢出来ないのね」

パチュリーの口調には、年上の女性が年少の少女に接する時の、大人びた余裕と見下しが含まれていた。

「人のこと馬鹿にしている暇があったら、その毛むくじゃらの足の毛を剃ったらどうなんだよ」

あまりに憤慨したのか、ついに魔理沙が、今まで三人が口に出さなかった、テーブルの下に広がる足たちの世界について口にした。

「あーあ。ついに言っちゃったか。魔理沙の負けね」

「まったく辛抱が足らないんだから。それに足の毛が酷いのはそっちじゃない」

「負けってなんだよ。そんなの聞いてない……待てよ?」

その時だ。部屋の中に、ふわりと風が吹いたような須臾の間が生まれた。魔理沙の星弾が消えた。

魔理沙の右足が、テーブルの天井に張り付いていた私の顔をぺたぺたと探った後、私の髪をわっしと摑んだ。

『あいたたたた』

そのまま、床へ落とされた。いつもはサニーとルナを差し置いて真っ先に逃げてきたのに、この時は失敗してしまった。

「さっきから、アリスもパチュリーも、随分毛深い足だと思っていたんだがな」

魔理沙のその言葉で、アリスとパチュリーも、何事かに気付いたようだ。水の魔法か、なにやら不気味な液体を迸り始めていたパチュリーの足の裏から、魔力がさっと消えた。アリスも「グランギニョルの怪人」の展開をやめ、人形をスカートの中へと戻す。

「私の方こそ、魔理沙の足はなんて毛深いんだろうと思っていたわ」

「そうよ。まるで赤ずきんに出てくる狼の足かと」

そう言って、パチュリーは頭を抱えて蹲るルナの背中に足の指を這わせ、美しい金髪のカールを二つ探り当てると、親指と人差し指で挟んで摑んだ。

『うわーん』

ルナが泣き叫んだ。サニーはルナを助けようとたまらずパチュリーの足に摑みかかった。それを知っていたかのようにアリスの両足がサニーのツインテールへ伸びた。

(サニーらしい捕まり方だわ)

『ルナ、スター、どうしよう。捕まっちゃった』

『なんとかならないのかしら』

『離せーこのー』

ぽかぽかと叩いたり、ぺしぺしと叩いたりしても、三人は髪を離そうとしない。

「ところで、話は変わるが、外の世界の人間は空を飛ぶことが出来ないらしいな。もし、人類が全員、私や霊夢のように空を飛ぶようになったら、足の指ももっと有効活用出来るんじゃないか」

「きっと、物を摑むように進化するでしょうね。私が本を読み易いよう近眼へと進化したように」

「それは進化なのか?」

「じゃあ、霊夢の奴は、このまま進化したら足の指がどんどん長くなって、手と足が同じ形になるかもね」

「それは……ちょっとグロテスクだな」

「そうかしら? 地面を歩く必要がないなら、合理的だわ」

魔法少女たちは、先ほどまでのつんけんした会話から一転して、和やかに話し始めた。そして三人はそれぞれ両足で私たちの髪の毛を摑みながら、前後左右にぶらぶらと揺さぶり始めた。

『わあああ』

「そろそろいいかしら」

「いいんじゃない」

「私もいいぜ。おーい出てこいよ」

パッと、足指の拘束が解かれ、私たちは床へどさりと落ちた。テーブルが横にずらされ、私たちは能力を解いた。

「あ、お前たちは」

「あら、貴方達だったのね」

「どこかで見たような……」

魔理沙とアリスがとたんに芝居掛かった声を出した。

「おい、この三人は私の上客じゃないか。誰がこんな酷い目に遭わせたんだ」

「この子たちは、私の御近所さんだわ。可哀想に。ああ、なんてこと」

「ううう……」

私たちはぐったりして起き上がれない。パチュリーが冷静に突っ込んだ。

「魔理沙の上客?」

「ああそういえば、住んでいる家が蔦に覆われたので助けてくれ、って言われたからここを紹介したことがあったわね」

「そう。そこの籠のツチノコを手に入れた時にな」

私たちはテーブルの横にちょこんと座った。

「まあいいか。人間の足の指がなんのためにあるのか判明したからな。テーブルの下で悪さをする妖精を捕まえるためにあったんだ。それを教えてくれたから、勘弁してやるぜ」

 

私たちはなぜかテーブルの上の片づけをやらされた。足を使った蹴り合いに私たちは関係ないのだが。その間に、三人はスリッパに履きかえた。片づけが済むと私たちも座につき、魔理沙は、お代わりの紅茶を出せ、という二人の魔法使いの要求によって、台所へ追いやられた。

「まさか貴方達が隠れていたなんてね。これからは、人形にカメラを仕込もうかしら。たしか烏天狗が魔法のカメラを持っていたわね」

「貴方たちは、この家の住み込み妖精?」

サニーが哀れな声を出した。

「いいえ、魔法の森を歩いていたら、道に迷ってしまって、それで、助けてもらおうと」

(サニー……それはアリスの家に行った時、使った手よ)

そう思ったが口には出さない。

「私の家に来た時もそんな嘘吐いたわね。あの時はたしか、鷽(うそ)の大群に突かれたんじゃなかったかしら」

アリスとパチュリーは呆れると、私たちを放ったまま二人で話し始めた。

「魔理沙の手前あんなこと言ったけど、もちろん人形の方でも月の民に見せつけることを考えているのよ。薬の精製は表。その裏には、本業の人形を使った魔法をちゃんと用意している」

「ええ。そうでしょうね。それが魔法使いの性。そして私や魔理沙には教えてくれないのでしょう」

「別に貴方に教えるのはいいわ。私以外には創れないものだから。魔理沙に言わないのは、言うと作業を妨害されそうだから。実は、巨大な戦闘用の人形を作るつもりなの。ティターニアとゴリアテと呼んでいる試作品は、今の段階では普通の人形だけど、将来的には核融合炉で動き、人が乗り込んで操作出来るタイプになるはずなの」

「そう。私も、月へ船を飛ばすことが表なら、裏もあるわ。そうね。まずは七曜の力を見せるつもりではいる。そして、言語を操っている奴と勝負したい」

「うーん、よくわからないわね。言語?」

「日本語を創ったのは誰か知ってる?」

「考えたこともないわ。ヘブライ語やアラビア語は、元々はセムとハムが創ったらしいけどね」

「今、外の世界では、まったく新しい魔術的言語が生まれているのよ。例えば、C(シー)とか、C++(シープラプラ)と呼ばれる言語がね」

アリスの人形のような顔が、ふと下を向いた。

「ぷらぷら? なんだか酔っ払いにぴったりの名前ね」

「アリスは、その方面もよく知っているはずよ。貴方の弾幕人形劇を動かすのにも、C++が使われていると私は睨んでいるの。ま、いいわ。私が相手をしたいのは、その言語を創り、世界へばら撒いた黒幕よ」

「そう。健闘を祈るわ」

場が落ち着いた。私たちは魔法使いの会話をまったく理解することが出来ず、ぽけーっと座っていた。魔理沙が紅茶のポットを持って帰って来た。

「六人も客が来るのは珍しいから、セットを探すのに苦労したぜ」

セットとは言うものの、微妙にティーカップの柄はバラバラだ。きっと和食派の魔理沙は紅茶のセットを揃えたりする気はないのかもしれない。魔理沙は、神社に最近、八雲紫がやってきて霊夢に稽古をつけていることなど、身の回りの話をし、やがて午後のお茶会は解散となった。パチュリーは、魔理沙に、もう本を盗むのはやめなさいよ、と挨拶するかのように軽く言って去った。アリスは、この店に仕事を頼む客がいたなんて世も末ね、と言って近所の家に帰った。私たちもお暇(いとま)しようとすると、魔理沙が意外なことを訊いた。

「お前たち、見た目も性格もばらばらのようだが、一体何の妖精なんだ」

「日の光」「月の光」「星の光」

私たちは口々に言った。

「ほう。星の光の妖精はお前か。ちょっと話があるんだが」

「え?」

私は驚きのあまり後ずさりした。

「魔理沙さん、スターは美味しくないですよ」

「多分、私たちの中で一番不味いと思う」

サニーとルナが変な庇い方をしたので、私はこらこらと抗議してから、言った。

「でも、そうですね。ガラクタ集めの趣味とか、こちらのルナの方が魔理沙さんとは気が合うかと」

「失礼な奴だな。ま、大したことじゃないんだ。星の魔法を探求する仲間同士、ちょっとな」

そう言って、魔理沙はサニーとルナを外に出してしまった。いつも真っ先に逃げ出す私は、極度に緊張してしまう。サニーとルナが、玄関のドアに耳を押し付けて盗み聞きしている気配を感じとる。

「アリスとパチュリーは、私が台所に行っている間に、何か話していただろ?」

「あ、えーと、魔理沙さんには表しか話さなかったけど、裏もあるとかなんとか」

「アリスは、人が乗って操縦する巨大人形で、パチュリーは言語を創った奴と勝負するとか言ってたな」

「聞こえていたんですか?」

「私の家だからな。あいつらのことなどお見通しだ。ま、私はあの二人の魔法には興味はない。しかし、あいつらと同じように私だって裏の計画がある。美しい弾幕で勝負するだけじゃなく」

「はあ」

「で、それが星に関する魔術なんだが、どうも上手くいかなくてな。一つが『オープンユニバース』、もう一つが『ビッグクランチ』というんだが」

「はあ」

「この魔法が完成すれば、この宇宙の未来を自在に操れるようになるはずなんだ。逆に言えば、完成出来ないと……いずれこの世から星は消えて無くなる」

「消えて無くなる?」

そんなことがあるのだろうか。

「そうさ。どうやらこの宇宙はだんだん広がっていくようなんだ。つまり、オープンユニバースの方だな。すると無限に広がっていく宇宙は無限に薄くなっていき、しまいには稀薄になりすぎて星はどんどん死んでいく……らしい」

私は怖くなってきて、溜まった涙を袖で拭った。

「おっと、怖がらせてしまったか。まっ、今すぐというわけじゃない。遠い未来の話だけどな。だから、宇宙全体を何とかする魔法を編み出そうと試行錯誤しているのだが、上手くいかないんだ。重力の制御が重要らしいんだが、私は霊夢と違って重力を操ることは出来ない。そこで、お前の力が使えないかと」

「出来ることならなんでも」

「おおそうか。じゃあ、私の奴隷になるつもりはないか?」

「え!」

「実はな、『スレイブ』という器物を作ってみたんだが、なかなか上手くいかないんだ。あそこに転がっているだろう? あれらにさっき言った『オープンユニバース』や『ビッグクランチ』を入れてあるんだが……」

向こうの床に、真っ黒な球体が無造作に転がっている。

「だけど、物足りない。私はアリスが人形に火薬を仕込むようなことはしないから、どうだ?」

私は一目散に逃げ出した。

「やれやれ、駄目か」

魔理沙にいたずらを仕掛けることは出来ず、しかもよりによってこの私が、魔理沙に目をつけられてしまったとは。困ったことになった、と思った。だがその後、しばらくは魔理沙の方からコンタクトを取っては来なかった。

 

その年の冬。私たちは、紅魔館のロケット完成記念パーティに出席した。パチュリーが、見事月まで飛んで行ける船を建造したのだ。当然、私たちも潜り込む気だったが、霊夢が一緒に乗ると知って諦めた。勘の良い霊夢と何日間も狭い船の中で一緒にいるのは無理だ。私たちの能力は、寝ている間は解除されてしまうのである。しかしパーティも酣(たけなわ)になった頃、酔っぱらったサニーが突然、名案を思い付いた。

「そうだ! 巫女が吸血鬼とロケットに乗るということは!」

同じようにとろんとしたルナが、パチパチと目をしばたたかせた。

「……ことは、何よ」

「その間、神社は蛻(もぬけ)の殻ということよ!」

「ハッ、そうか!」

「サニー、すごーい」

この時は私も心からサニーは凄いと思った。どうして今まで気付かなかったのだろう。

「というわけで、ルナ、スター、ロケットが出発したら、さっそく神社を漁りに行くわよ!」

 

しばらくして、紅魔館の図書館から、不思議な形をした三段ロケットが飛んで行った。その軌跡を幻想郷中が見上げていた。それは、まるで月へ撃ち込まれる弾丸のようだった。

翌日、さっそく我ら妖精コソ泥団は、博麗神社へ向かった。しかし、無警戒に境内へ入ろうとするサニーとルナを私は止めた。

「待って。人の気配がする」

「まさか、先客がいたとか?」

「それとも、霊夢は寝坊して、乗りそびれたとか」

「サニーじゃないんだから……」

私が能力を最大限に発揮して周囲を見渡すと、神社の裏の方に誰かがいる。

「どうやら、裏の池の方だわ」

博麗神社の裏には、立派な池があり、そこから流れ出た用水路は人里近くまで流れて田畑の耕作に利用されている。夏になると、朝早くから水面一面に見事な蓮が咲き、まさにLotus Landはかくありという光景を楽しむことが出来る。しかし冬の今では、一面に氷が張り、寒々しい。氷上にぽつりぽつりと、枯れて萎んだ蓮台の残骸が姿を覗かせ、雪の中で黒く点在している。そのほとりに、一人の少女が佇んでいた。

「……い。げ……い」

寒風を縫って、途切れ途切れに少女が叫んでいるのが聞こえる。

「蓮根(れんこん)を採りに来ているのかしら。今が旬だし」

「それらしい道具は持ってないようだけど」

「あら、あの人、パチュリーだわ」

月へ飛んで行けるロケットを昨晩発射させたばかりの、魔法使いだ。知っている人だと安心して、私たちはパチュリーの前へ出た。

「こんにちは」

「奇遇ね。うちでやったパーティ以来かしら。森の妖精がこんなところでなにを……ああ、神社荒らしね」

「いえそれは……」

「パチュリーさんも、池荒らしでしょう?」

「失礼ね。私は訪ねて来ただけよ」

パチュリーはそう言うと、池の真ん中まで飛んで行った。

「おかしいなあ。冬眠しちゃったのかしら」

「冬眠て蛙か鯰とか」

「違うわ。大きな亀よ。人が乗れるくらいの」

私は池の中の気配を探ってみた。池の中はぐっすり眠る多様な生命で溢れていたが、大きな亀の気配はなかった。

「うーん。池の中にはいないようですけど」

「そう。まさか、霊夢が食べちゃったとか……まさか、まさか……ないよね。きっと」

パチュリーが不安そうな顔をする。その時、ルナが雪の中に埋もれていた樹の根っこに足をとられ、べしゃっと転げる音がした。他の三人がそちらを見ると、ルナが倒れたすぐ横の池の氷に大きく穴が開いている。パチュリーがほっと安堵の溜息を洩らした。

「どうやら、会いたかった亀は池から出て行ったようね」

「なんて名前の亀なんですか?」

サニーがルナを抱き起こしているのを尻目に、私は好奇心にかられて訊いてみた。

「玄爺(げんじい)よ。聞いたことない?」

私たちはゲンジイという名に聞き覚えがなかった。

「そう。弱ったわね。あの亀は空を自在に飛べるから、足跡もないし……」

カールした髪の毛についた雪を落としていたルナが、そういえば、と言い出した。

「魔法の森の中の沢に、亀の神様が住んでいるって魔理沙が言ってたわ」

「ああ。今年の夏に光る苔を探した時に……、でも、あれは魔理沙の出まかせだったんじゃないの」

パチュリーが反応した。

「貴方達、その亀の神様はなんていうの?」

「なんだっけ? 確か名前が書かれた符が沢山洞窟に貼ってあったような。ルナ、覚えている?」

「うーん、なんて名前だったかなあ。スターは?」

私は思い出したが、それはゲンジイという名ではなかった。

「残念ですが、玄武の沢に住んでいるのは、ゲンブという神様です。ゲンジイではありません」

パチュリーがニコリと笑った。

「玄武! そこだわ。玄爺の本名だもの」

 

柱状節理の岩肌が並ぶ急流の左右に無数の洞窟が開いている。私たちはおぼろげな記憶を頼りに探した。

「この洞窟のずっと奥から、大きな生き物の気配がする」

四人が顔を覗き込むと、無数の符が貼られている。「玄武鎮護」と書かれた符だ。パチュリーが声を出した。

「玄爺? いますか。パチュリー・ノーレッジです」

奥の方からズルズルと音が聞こえた。そして、何かが、ぬっ、と顔を出した。

「わしじゃ。玄爺じゃ」

「うわあああ」

私たち三人はひっくり返った。その亀は人間のような顔をしており、顎には立派な髭が生えていた。

「そんなに驚くことはないじゃろ。そっちの御嬢さんは前に会ったな。何の用ですかな」

「玄爺のアドバイス通り、河伯様を乗せた甲羅を、月へ飛ぶ船に載せて、昨晩月へ向かって打ち上げました。それで報告に」

魔理沙は私たちを騙してなどいなかった。亀の神様、玄武は本当にいたのだ。しかし、想像していたのとは全然違う、好々爺のようだった。玄爺はパチュリーの方へ長い首を伸ばし、優しい声で言った。

「おー。ついに飛びましたか。これであいつも娘に会えて喜ぶじゃろ」

私たちが話を飲み込めずきょとんとしていると、パチュリーが説明してくれた。

実は、紅魔館が霊夢と魔理沙を乗せて打ち上げた、スミヨシ三段ロケットには、隠れた乗組員がもう一人いたのである。それが最上段ミンタカの屋根に安置された「五色の亀の甲羅」だった。紅魔館のメイド長、十六夜咲夜が、古道具屋の香霖堂で入手したものだという。ただの鼈の甲羅だと思われていたが、実は、本物の河伯、つまり黄河の神様の本体だったのである。河伯は封印され、肉体が見えない状態だったのだ。

では、なぜ河伯をロケットに積む必要があったのか。それは、河伯の実の娘の嫦娥が、月の都に幽閉されていることにあった。河伯は嫦娥に一目会いたいと思い続けており、その執念が、ロケットを自動的に月へ向かわせる役割を担ったのである。

「月の民が工作をして、月の羽衣の切れ端をロケットの屋根に付けたから、それでも月には着いたでしょうけど、あいつらのことは信用ならないし、河伯の力に頼る方が確実だからね」

「亀同士、わしと河伯は大の親友でしてな。昔は、大洪水で地平線まで冠水した大陸を、二人で泳ぎ回ったもんです」

玄爺の昔語りが始まりそうな雰囲気になり、私たちもパチュリーもそろそろ帰ると言い出そうとしたその時、沢の上空をこちらへ向かって高速で飛ぶ何者かの気配を感じた。

「誰かがこっちに来るわ」

「誰だろう? あ、ひょっとして」

サニーが思い当たる節があるような表情をした。ただならぬ気配に玄爺が反応した。

「なんじゃ?」

「ひょっとして……」

ルナが言った。

「なんじゃなんじゃ?」

「まさか……」

私も言ってみた。

「なんじゃなんじゃなんじゃ?」

「いえ、言ってみただけです」

サニーが言うと前屈みになっていた玄爺がクタッとへたった。

「このノリは久しぶりじゃの。お前たちはかつての靈夢にそっくりじゃ」

そこへ、私たちの背後から声がかかった。

「玄爺! ここに居たのね。探したわよ」

振り向くと、人形を操る魔法使い、アリス・マーガトロイドだった。アリスの勢いの激しさに、パチュリーが思わず一歩下がる。アリスはパチュリーに一瞥をくれた。

「おっと。誰かと思えば、ロケットを見事に月へ飛ばした魔法使いさんね。おめでとうと言っておくわ。ところで、玄爺に何の用?」

「アリス、貴方こそ何の用よ」

「玄爺が隠している財宝の在処を訊き出しにね。でも見当はついたわ。この洞窟の奥に隠したんでしょ」

私たちは目をキラキラさせた。

「なになに?」

「財宝?」

「お宝?」

パチュリーも驚きを隠せない。

「初耳だわ。確かに玄武様の神格を考えれば、どんな神宝を持っていても不思議じゃないけど」

「こらこら勘違いしてはいかん。そこのアリスが勝手に財宝と呼んでいるだけで、宝でもなんでもありゃせん。お主、その様子じゃ、もう片方は見つけたようじゃな」

「ええ。ICBMは、永夜異変の時に泊まり込んだ魔理沙の家の、ガラクタの奥で見つけたわ。『ミミちゃん』と言う名前だったのね。まさか大陸間弾道ミサイルが喋るとは、あっちの技術には驚かされたわ。後は、靈夢が持っていたはずの、核融合炉で稼働するアンドロイド『る〜こと』を入手するだけよ。さあ、る〜ことの隠し場所を言いなさい!」

「取引じゃ。あの、幺樂団最後のライブの夜、お主が『究極の魔法』を使って靈夢から奪った、『ハクレイのミコ』を霊夢へ返せ。ならば交渉に応ずるわい」

玄爺とアリスが睨み合った。だが、アリスの顔にはありありと焦りが見える。

「どうせ、お主はお主で『ユダヤ極東貿易会社』との取引材料に使ってしまったんじゃろ。お主の手元に『ハクレイのミコ』はいない。きっとユダヤ極東貿易会社の本社奥深くに幽閉されているはずじゃ。月に幽閉された嫦娥のようにな」

「……ハクレイノミコを幻想郷へ取り戻したいのなら、なおさら、る〜ことに搭載された核融合炉の技術が必要なのよ」

「論外じゃ。交渉はここまで。さて、力づくで、洞窟の奥に入るかね? この玄武と本気で闘いたいなら、挑む権利は与えよう。そうじゃ、なんなら、ICBMを使用したっていいぞ」

「あれが、魅魔(みま)によって封印済だって知っているくせに」

「じゃあ、尻尾を巻いて逃げるんじゃな。パチュリー殿、騒がしくしてすまんな。さらばじゃ」

玄爺は、後ずさりして洞窟の闇の中へと姿を消した。

「ふん。この洞窟の奥に隠しているような言い方をしていたけど、ブラフね。る〜ことは人形だから、糸で触りさえすればなんとかなるのに……。困った亀だわ、まったく」

アリスがぶつぶつ言いながら去ろうとするのをパチュリーが呼び止めた。

「今の貴方たちの会話に出てきた単語は初めて聞いたものばかりだったけど、何となくわかったわ。昔、霊夢が所有していた人形に、核融合炉が搭載されていたのね。それを流用して巨大人形を完成させるつもりだったと」

「ノーコメント」

アリスはきっぱり言うと、私たちに一瞥もくれず、玄武の沢から出て行った。私たちは、展開の早さについていけず、所在なさげに一斉にパチュリーを見た。

「えっと、私は目的を果たしけど。ま、貴方達のお蔭で助かったわ。お茶でも飲んでいく? 神社のお茶でも」

こうして、私たちは小春日和の中、神社の縁側でお茶を楽しんだ。

 

明くる年の正月。月から帰って来た霊夢に私たちはさっそくいたずらを仕掛け、初明星を実現することに成功するが、三人とも能力を使い果たし、家に帰ってくるなり疲れて寝てしまった。

不思議な夢を見た。

私たちの家の中央に、二人組の少女が立っていた。

「表の月から抜かれた旗、やはり幻想郷にありましたね」

「八意様が、万が一旗を抜かれた際に追尾するよう、術を施していた鳥居の石もあるわ。間違いない」

「でも、眠りこけているあの妖精たちが、月まで行って悪さをしたとは思えません。一人は月の光の精のようですが、とても月までは飛んで行けないでしょう。あら、この卵は何かしら」

ルナが声を出した。

「誰? 泥棒?」

「あら、起こしてごめんなさい。ちょうどいいわ。ここにある旗と石は、大事にしまっておきなさい。これらは元々私たちの物だけど、今さら持ち帰っても政治的な問題が拡大するだけだし」

「ただし、いつまでもここに住み続けない方がいいわね。一神教の連中が、ここを襲うとも限らないし。引っ越した方がいいわよ。ま、八意様がここに住まわれているなら、大丈夫だと思うけど。じゃあね」

二人組の何者かが、家から出て行ったところで、夢から醒めた。

ルナがコーヒーを入れている。

「さっき変な夢を見ちゃった。初夢って昨晩の夢だっけ? それとも今晩見る夢だっけ?」

コーヒーを二つのカップに注いでくれたルナが、私をじっと見た。

「私のも変な夢だった。あの感じ、どこかで覚えがあるのよねえ。なんだったっけ」

サニーも起きてきた。

「あー、寒い。寒いわ。なんだか嫌な夢を見て、たまらなくなって起きちゃった。変な女泥棒二人組がうちに入ってきて、持っている物を大事にしろとか、引っ越した方がいいとか、わけのわからないことを言いながら、脅かす夢」

「え? サニーも私と同じ夢だったの?」

私は驚いた。ルナは、まだ考えている。そして、そうか、と言って自分の部屋へ行った。しばらくして、白い筒を持って戻ってきた。

「この蛍光灯を手に入れた時、誰かに会った気がするんだけど、その時と似た感じなんだ」

「えーと、意味がわからないわね」

「ルナは、蛍光灯を拝んでいたっけ」

私たちには、ルナが何を考えているのかわからず、やがて夢の中身も大方忘れてしまうものの、引っ越しをしなければ、という意識は、三人に強く残った。

 

しばらくして、私たちは博麗神社のそばの大木へ引っ越すことになる。引っ越した後も霊夢を恐れて棲家を明かしていなかったが、とうとう、霊夢に喧嘩を売って、当然のようにこてんぱんにのされ、そして霊夢と私たちは打ち解けることが出来た。幻想郷の強大な妖怪達と同じように、かの博麗霊夢と酒を飲み交わす仲になったのだ。

それから間もない頃。私たちは引き払った後も魔法の森へちょくちょく通っていた。外の世界から入り込んだ鉄塔を自然の力で覆い、妖精たちの聖地にしようという計画が進行していたのだ。そんなある晩、私は森の中で魔理沙に出会った。

「よう。今日はお前一人か」

「はい。こんな月も出ていない真夜中だから」

私は、すでに樹の幹が覆い隠し、巨木と化した鉄塔の天辺に、魔理沙と並んで腰かけた。魔理沙と私は、とりとめもない話をした。魔理沙は、飼っていたツチノコを野に逃がした話をした後、愚痴をこぼした。

「自分と仲が良かった者や、自分に懐いていた者が、自分から離れていくのは、ちょっとつらいな」

空には、銀河の流れが広がっていた。私はその時、不思議と魔理沙の心がわかった。

「お前たちも自分に懐いていたのに、霊夢に取られてしまうのか、と思ったんでしょう? 魔理沙さん」

魔理沙は苦笑した。

「お前たち妖精は本当に残酷だな」

「きっと、私たち妖精は、接する人間の心によって変わるんですよ」

「本当か? じゃあ、日本語以外の言葉で何か喋れるか?」

私は、魔理沙の心の動きに従い、自分の中から言葉が湧いてくるのを感じた。

「There() are() more() things(の間) in(はね、) heaven(魔理沙、) and(貴方の) earth(哲学が),Marisa(夢見た),Than(こと) are(よりも、) dreamt(ずっと大変) of() in(物事) your() philosophy(いっぱいなのよ).」 

私はすらすらと言うことが出来た。魔理沙はぽかーんと口を開けた。その表情がおかしくて、私はぷっと吹き出す。

「お前、ハムレットを読んでいたのか!」

「いいえ? 私はただ、思ったことを言っただけよ」

「私の哲学が、夢見たこと、か」

魔理沙がうつむこうとしたので、私は右手を掲げて、真上を指差した。つられて魔理沙が天頂を見上げた時、大きな流れ星が、美しい尾を引いて流れた。

「よし、お前さ、今度人里で会合があるんだけど、その後会えないか?」

「いいけど、何しに?」

「星の集まりだ」

 

人里の稗田家の前に、人間と人間以外の者が集まっており、里に住む人間たちが、遠巻きに眺めている。やがて屋敷から聞き慣れた霊夢の怒鳴り声が聞こえ、門からぞろぞろと妖怪が出てきた。

「聖(ひじり)、いかがでした。宗教対談は」

虎柄の服を着た人物が、尼僧らしき少女に声をかけた。どちらも人外の気配を隠していない。最近幻想郷にやって来た、命蓮寺の者たちだろう。聖と呼ばれた尼が応える前に、白と黒の服を着た少女が答えた。これは人間だ。

「ああ。ぶちこわしになったぜ。そこにいる巫女のせいでな。あ、もちろん早苗のことじゃないぜ」

発言の主はもちろん魔理沙である。

「なんと言われようとも構わないわ。幻想郷の平和は今日も守られたんだから」

「霊夢さん、かっこいい!」

大見得を切った霊夢を、守矢神社の現人神、東風谷早苗が褒めた。

「早苗。ぶち壊された方に私も入っているんだけどな」

こう言ったのは、背が高く青い髪をした、山の神、八坂神奈子である。その後ろから、大きな蓋のような飾りを両耳に被せた少女が出てきた。烏帽子を被った少女がそれを迎えた。

「心配しましたぞ。一大事が起きた時は……」

「……屋敷に火を放った隙に助け出そうかと身構えておりましたぞ、と言うつもりでしょう。冗談でもそういうことを言ってはいけません」

「御意」

周りが一斉に白い目でそっちを見た。やがて、三々五々、人々は散っていき、早苗と連れ立って歩いていた魔理沙は私を見つけた。

「おっ、来たようだな。司会なんて慣れないことするもんじゃなかったぜ」

「そうか。悪くはなかったぞ」

八坂神奈子が魔理沙を誉めた。

「では八坂様、私は魔理沙さんとお話が」

どうやら、魔理沙に呼ばれていたのは私だけではなかったようだ。以前の奴隷勧誘を憶えていた私は、少しほっとした。

「そうだ神奈子。別れる前に聞いておきたい。お前は外の世界を知っているんだったな。この日本の首都、東京ってどんなところなんだ?」

「酷(ひど)いところだ。それ以外の形容は出来ない」

神奈子は言い捨てた。早苗が微笑んだ。

「またまた。魔理沙さんは本気にしちゃだめですよ。私が、今でも外の世界へ未練を持っていると八坂様は思っていらっしゃるんです。だから、それを断ち切ろうと、わざとそんなことを」

「うーん。しかし、無理して行くようなところでもない」

「あーあ。私は推薦で東京の大学へ行くことに決まっていたんですよ。幻想郷に来ていなかったら、今頃はキャンパスライフを満喫していたのに」

「お前が推薦を決めた大学は、東京じゃなく埼玉にあったじゃないか。埼玉の鳩山に……」

「違います! 名前の頭に『東京』がついているんだから、東京の大学なんです!」

早苗が怒鳴った。私と魔理沙はわけがわからず、早苗と神奈子から、ちょっと離れた。

「高坂に下宿先まで取ったんですよ。もし幻想郷に来ていなかったら、きっと同人ゲームサークルに入って、奇跡的に素晴らしいゲームを作ってその実績で有名ゲーム会社に就職して、でも優秀な私に仕事が殺到することになって、それに耐え切れず会社辞めて個人製作でゲームを作って、奇跡的に素晴らしい同人ゲームが生まれ、奇跡的な大ブームが巻き起こり、奇跡的な大成功を収めたはずです。そして私は、エニグマティックディベロッパー、通称SAN、敬称『現人神』として、人々を魅了することになったはず。あーあ。それもこれも幻想郷に来たせいでおじゃん」

神奈子が、可哀想な人を見る目で早苗に言った。

「同人ゲームで大成功? エニグマティックディベロッパー? 馬鹿じゃないのか。いくら奇跡を重ねても、そんなことが起きるわけないだろう」

「いーえ。絶対に、絶対に、絶っっっっっっっ対に、そうなりました。私が用意した分の奇跡は別の誰かさんに全部行っちゃったでしょうね。魔理沙さん、本当ですよ?」

「何を言っているのか、さっぱりわからん」

「魔理沙は知らなくてもいいことだ。早苗の妄想だからな。早苗を埼玉の大学へ行かせず、幻想郷に連れてきて良かった」

「だ、か、ら、埼玉じゃなくて東京です! 妄想でもありません! いくらなんでも怒りますよ」

「わかったわかった。じゃあな。飲み過ぎるなよ」

神奈子は付き合いきれないといった風に空を飛んで行った。後ろから、私たちに追いつく影があった。先ほど見かけた、虎柄の服を着た獣人だ。

「すみません、遅れました」

「気にすることないぜ。こっちも自由になったしな。そこの小料理屋、仙台四郎もちょくちょく入る店だ。そこに予約を入れてあるから」

「霧雨さんの店から離れていますもんね!」

「早苗、余計なことを言うなよ」 

妖精の私は、なんだか場違いのような気がして、魔理沙の後ろに隠れるように歩いた。ルナが愛飲する珈琲の豆を盗みに人里へ入ることは何度もあったが、こういう会合は初めてだ。

座敷からはすでに何人もの気配がした。

入ると、化け猫の橙、地獄鴉のお空、蛍のリグルと不思議な取り合わせになっていた。魔理沙以外の全員が、共通項のなさそうな組み合わせに、顔を見合わせていた。

「というわけで、私、霧雨魔理沙主催の、星符研究会を始めたいと思います」

さっそく酒が運ばれてきた。ようやく、集まりの意味がわかった。星にちなんだスペルカードを使った者が集まったのだ。一人を除いて。

「あの〜、私は星符と付くスペルも、星を使うスペルも使ったことがないんですが」

「ああん? お前の名前は星(しょう)だろうが!」

「いえ、それはそうなのですが……」

図体の大きな虎の妖怪、寅丸星(とらまるしょう)は、いきなりしゅんとしてしまった。

そこへ、先ほど見かけた、蓋のような耳飾りをつけた少女が入ってきた。

「お前は呼んでないぜ」

「星にまつわる座談会があると予知していましたので。私も『星降る神霊廟』という弾幕を使っていましたから。初めまして、豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)といいます」

「あれは星だったのか?」

魔理沙が訊くと、神子が応える前に早苗が言った。

「あれは、絶対に星じゃないでしょ。ぷわぷわ浮かんでましたし」

寅丸星が少し元気になった。

「星降る詐欺ですか」

神子が溜息をついた。

「確かに星ではありません。神霊です。しかし、見立てというのは大事なのです」

「ほらみろ、星じゃないじゃないか」

魔理沙が言うと、寅丸星は、にわかに元気を取り戻した。

「ひょっとして、呼ばれた他の方も星の魔法を使っていないんじゃないですか?」

集まった者たちが自己紹介を兼ねて話し始めた。

橙は、星符「飛び重ね鱗」、お空は、星符「巨星墜つ」という弾幕を持っているようだが、そんなに星という感じを受けない。むしろお空は、日の性質が圧倒的に強い。

「飛び重ね鱗は、安倍晴明(あべのせいめい)の紋なの。凄いでしょう」

「巨星墜つ、って物凄いスカイダイビングのことなんですよ。きっと楽しいんだろうなあ」

「わかったわかった」

橙とお空がわけのわからない自慢をし始めたので、魔理沙が遮った。

リグルは、蛍符「地上の星」、早苗は、奇跡「客星の明るすぎる夜」などが魔理沙のお眼鏡に適ったようだが、こちらもあまり星っぽくない。

「蛍はね、昔は地上に住む神々と同一だったんだよ。歴史書にもちゃんと書いてあるんだ」

「『然れども彼()の地(くに)に、多(さは)に蛍火の光(かがや)く神、及び蠅声(さばへ)なす邪()しき神有り。復(また)、草木咸(ことごとく)に能()く言語(ものいふこと)有り』日本書紀ですね」

神子が補足した。

「蛍の光のうじゃうじゃか? 大した神じゃなさそうだな。蠅が群がるのはおぞましくて邪神くさいが」

魔理沙が言った。蛍は蛍である。

「客星とは、昼間も輝く明るい星です。あら不思議」

「そうか? 以前、太陽よりも明るい金星を見たことがあるぞ」

(それって、魔理沙に言われて私たちが仕掛けたいたずらじゃないの)

そう思ったが口には出さない。

「え? 本当ですか?」

こうなると、星符ばかり使う私は、気が大きくなる。そこで、星々の美しさを語り、ちょっぴり弾幕を披露すると、こりゃあ確かに星の弾幕に違いないと、座の一同は一致して認めた。

「そうそう、こういうのを星符って言うんだ。さて、寅丸星、お前はなんなんだ?」

「さあ、なんなんでしょうねえ」

すでに虎の少女は、お酒に酔って良い気持ちになっているようだ。

「そういえば、昔、お釈迦さまの前世の方を食べたことがありましてね、あれは美味しかったなあ」

「そんなことは聞いてないぜ。って、お前、なんてもの食ったんだよ」

「あれを食べてしまうと、もう他の人間なんて食べる気には……あ、でも一度だけ、日本から大陸へ遊びに行った時、うっかりお坊さんを食べてしまいましたけど。あの人もそこそこ美味しかったなあ」

「おいおい、お前、うっかり何してんだよ」

「わかる。人間、美味しいものねえ。隠れて食べたくなるよねえ」

橙がこんなことを言った。

「ちょっと、魔理沙さん、この人たちやっぱり妖怪ですよ!」

「今さら何を言っているの」

早苗とリグルが口論を始めてしまう。

「寅丸さん、貴方が食べたのは、高岳(たかおか)親王、つまり真如(しんにょ)ですね。空海の弟子の」

「そうですそうです。あの人を食べたら、なんだか日本が懐かしくなって、そうだ、日本に戻らなきゃ、と」

神子と寅丸星は、歴史の話になると妙にウマが合う。すでに星の話など忘れ去られてしまった。

さんざんぱら飲み食いした後に、ようやく会の目的を思い出した魔理沙が、私へそっと愚痴を言った。

「ちぇっ、こんなことなら、星熊勇儀でも呼べばよかったかな。ま酒代が馬鹿にならなさそうだから呼ばないがな。せっかく、星々と宇宙の未来について真面目に討論しようとお前たちを呼んだのにな」

研究会の目的はどう考えても達成されそうになかった。だが、魔理沙の言葉とは裏腹の楽しそうな顔は、会が成功していることを示していた。

 

しばらくして、ある夜。大昔に吸血鬼からもらったカタディオプトリック式魔法望遠鏡で星を観測していると、見慣れた星の気配が消えているのがわかった。その時、背後から今晩は、という声。

「ええ。ずっと、今晩は、だからね」

私は静かに答えた。気配を読み取れる自分はすでに来客を感じていた。でもあの光らない星々の方が問題だ。

「ついに、近くにある星は全て消えてしまったわ。あとはブラックホールの気配ばかり」

自分が住む家の前後左右上下の全天に、かつて見慣れた星はほとんどなく、ただかすかに白色矮星がまばらになっているだけだった。

「お、おい!」

誰かが叫んだ。来客は三人だった。

「ここには、空気がある。そんな……これは……」

そう言ったまま、一人は泣きだした。

「この宇宙に、まだこんな場所が残っていたなんて」

「ええ。まさに奇跡かしらね。……いえ、違うわ。どうやら……ここには縁があったようね」

その時、私は、それら三人の声にどこかで聞き覚えがあると思って振り返った。三人は、人の形をしていた。一人は黒い髪、他の二人は白い髪だった。

「妹紅(もこう)はまだ泣いているの?」

「だって、だってさ、あれからどのくらい経ったと思う? 永琳。何年経ったんだ」

「かつて人間は、月や日という天体に基づいて、時間を測定してきました。だからそれらの天体が消えた今、何年経ったかという質問自体に意味がなくなっているのです」

私は、ほー、と息をついた。

「ニホンゴ、日本語だわ」

「ええ。貴方はスターサファイアね。久しぶり。幻想郷では何度か会ったわね。私は八意永琳。覚えているかしら。こちらは蓬莱山輝夜と、藤原妹紅(ふじわらのもこう)

幻想郷という単語を聞いて、少し大人しくなった妹紅の嗚咽がまた酷くなった。

「おい……、久し……ぶり、なんて、軽い……言葉じゃないだろ。いいから、何年経ったか教えろよ!」

「そうよ永琳。いじわるしないで、当時の、私たちが住み始めた頃の幻想郷の一年を単位に、何年経ったか教えてあげたら」

「わかったわ。妹紅、私たちが永遠亭の永遠を解放したあの日から、四百兆年ほど経っているわ」

ヨンヒャクチョウという言葉は、すっきり入ってきた。

「ということは、地球が消え、月が消え、幻想郷が消えたあの頃からも、だいたい四百兆年ほど経っているのね」

輝夜も少ししんみりして言った。私は笑いが止まらなくなった。

「何が可笑しいの?」

そう訊いた永琳に私は返した。

「何がって、幻想郷は消えてなんかいないんだもの。ここが幻想郷よ。かつて、魔法の森と呼ばれる場所にあった二つの建物、鉄塔を元に創った樹と、霧雨魔理沙の邸宅を土地ごと背中合わせに張り合わせて残したのが、この星、幻想郷」

三人が一斉に止まった。

「皮肉なものね、私たちが住んでいたあの永遠亭のような仕掛けを魔理沙が施していたなんて」

「おかげで昔のものは今でも残っているわよ。人工の重力だってあるし、呼吸出来る酸素も残っているわ。物はあまり腐らないから、魔理沙の遺骨だってほら、かろうじて歯の何本か残っているの。それに……ついて来て」

私は、かつての霧雨魔法店から出ると、地面をぐるりと回って、この小天体の反対側で高く聳え立つ神社へと三人を案内した。それは、電波塔だったものへ樹木が巻き付いて巨木となったものだった。その洞へ入ると、奥に二つの神棚があり、それぞれ棒状の物が置かれている。一つは、ルナチャイルドが大事にしていた蛍光灯で、もう一つは地球が太陽に飲み込まれる時、太陽へ帰っていく霊烏路空がサニーミルクに譲った第三の足、つまり制御棒だ。そして広い床の中央に、布のような大きなものが広げられ、小さな石が乗っている。左右には、真っ黒い球体が置かれ、呼吸するかのように幽かに光を明滅させている。

「これは星条旗と、鳥居が刻まれた石! 残っていたなんて」

「それだけじゃないわ。取ってみて」

輝夜が、星条旗をそっとどけると、下から巨大な楕円形の物体が姿を現した。

「これは……卵?」

「そう。卵。それも宇宙卵よ。魔理沙の、いえ、私たちの魔法の結晶がこれよ。本当は、右の黒い球体に入っている『オープンユニバース』と左に入っている『ビッグクランチ』を操作することで、宇宙を定常的に安定させる魔法も創ったんだけど、さすがに広い宇宙を操作することは出来なかった。せいぜい、この周囲の物質を安定させるのが精一杯で」

「凄いわ。月の都ですら、崩壊から免れなかったというのに。これを貴方が四百兆年も、いえこれからもずっと守り続けるのね」

「ええ、あの幻想郷に住んでいた者で、不老不死の者以外でもっとも長く生きられるのは、星の光である私だからね。でも、星々の力が弱まってしまった現在では、私の力ではもはやこの宇宙卵を孵すことも出来ない」

そういうと、目の前の白髪と黒髪の二人、八意永琳と蓬莱山輝夜は頷いた。その時、私は妹紅から、不思議な気配を感じていた。

「妹紅さん。貴方はひょっとして、一人じゃない? 群体なの?」

「ああ、群体はこれさ」

感動の嗚咽をようやく落ち着かせた妹紅が、静かに涙を流し続けながら、腕をまくって見せた。そこには小さな人の形が無数に蠢いている。

「極低温の真空に居たから、魂のまま分裂を繰り返していたが、こいつらもようやく肉体を得ることが出来たようだ」

「これは……人? まさか、人間なの?」

「そう。これこそは、かつて万世一系と謳われた『天皇家』の人々だ」

それは、太古の昔、かつて日本と呼ばれた地に住む人々が、他の全てを犠牲にしても希(こいねが)ったものだった。万世一系に渡って続く、天皇家の永遠の繁栄。それは見事に叶ったのだ。絶対に断絶することの出来ない、呪われた種族として。永琳がどこか哀愁漂う声で言う。

「絶対に死ぬことが出来ない、永遠に生き続ける個体、蓬莱人と同じく、天皇家は、絶対に絶滅することが出来ない、永遠に生き延び続ける種になってしまったの。だから、かつての地球に棲息した生命が、細菌の一粒に至るまで絶滅しきった後も、天皇家は絶滅することが出来ないの」

妹紅の体表を蠢く人の形は確かに、かつての人間と同じ感覚を私に与えた。私は目を背けた。

「三人はしばらくここにいるんでしょう?」

「ええ、貴方が許してくれるのなら」

「もちろんよ。私がいなくなった後でも、ここを自由に使っていいわ」

魔理沙の家へ戻ると、妹紅は部屋の戸棚に、魔理沙の形見である八卦炉を発見し、またもや涙を流しながら、適当な容器に自分の血を入れて沸かし、飲み物を作り始めた。真空そのものに限りなく近い宇宙空間では、固体の容器も液体の飲み物も呼吸出来る気体も手に入らない貴重品だ。

私は、吸血鬼になったみたい、と言って妹紅の暖かい血のスープを飲んだ。美味しかった。

私は長方形のテーブルに椅子を並べて、客を座らせた。

「さあ、おしゃべりをしましょう」

三人は黙って椅子に腰をかけた。

「私は、日や月のように儚くないから、もう少しここにいられるわ」

 

しばらくして、最後の星が消えていくのを私は感じている。光の世界が、静まる。宇宙の再生を、日と月と星が再び輝くことを夢見て。

 

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