WEB版

  

第二十三章

夜明け12 アイスキャンデー 東方月矢風(つきやかぜ).

♪覚醒 〜 A Toad Gush from the Permafrost

 

私は、オリエンタリズムの欠陥が知的なものであると同時に、人間的なものであったと考えている。なぜならオリエンタリズムは、自分とは異質なものとみなされる地球上の一地域に対し、断固たる敵対者の立場をとらねばならなかったために、人間経験と一体化することができず、人間経験を人間経験とみなすこともできなかったからである。

エドワード・W・サイード著、今沢紀子訳『オリエンタリズム』より

 

東洋の大海原に、炎が不知火のごとく浮かんでは消える。

遥か下の方に、小さく舟が見える。その舟から、無数のアイスキャンデーが流れてきた。

私が座っている小さな飛行機が、うっかりそのアイスキャンデーを喰ってしまった。

たちまち炎が吹き出し、アツタ発動機が軋みを上げ、やがて機首ががくんと下がった。あの砲弾に憑いていていた、小さな天使が飛翔して私の眼前に浮かび、ぺこりと丁寧なお辞儀をした。私は黙って会釈を返した。

操縦席にいる男、私が付き添っている一等兵曹は、すでに死を悟っているようだ。後部座席の二等兵曹は即死している。一等兵曹はなんとかこの艦上爆撃機、彗星を爆弾ごと標的へ、あの小さな舟へ当てようと必死になった。ろくに訓練もさせてもらえず決戦に放り込まれたのに、随分頑張る、と思った。もっとも、例え機体が無事で、かつ攻撃に成功したとしても、飛行兵曹一人では発艦した航空母艦に帰還すること自体ほぼ不可能だ。この状況では機体もろとも突っ込むしか選択はない。

小さな舟はだんだん大きくなり、艦砲で武装した駆逐艦になった。一等兵曹が、せめて巡洋艦なら良かったんだが、と思考したのがわかった。だが、次の瞬間、彗星は流れるアイスキャンデーの美しい軌跡を飲み込んでしまった。翼が割れ、機体は小さく右旋回するとそのまま海上に墜ち、衝撃で砕けた。勇士が何かを考える暇もなかった。

せめて、坤の力が使えれば……だが、ここには土が無かった。

敵さんが艦船にずらりと揃えた八連装の四十ミリボフォース砲が一斉射撃を始めると、それはまさに弾の幕になった。曳光弾は、本当に美味しそうなアイスキャンデーに見える。しかし、それを喰えば、飛行機はまず助からない。もっとも、当たる弾には、敵方の守護天使が乗っているのでわかった。キリスト教の連中の、予定調和の世界観に閉じ込められたかのような錯覚に襲われている。

海面に立つと、二つの霊が日本の方へ還っていくのが見えた。一等兵曹の霊は、私の方を見なかった。見ようとすれば姿も現したし、話も出来た。しかし霊は東京の靖国神社へ向かって一直線に飛んで行くようだった。諏訪の地で遊びまわっていた少年の時からずっと見守っていたのだが。この男の木遣歌は、それは見事なものだったのだ。しかし、もはや付き添うこともない。そして、諏訪の人々が軍人となり、東亜の各地で戦死することに私はすっかり慣れてしまっていた。

潮風を嫌って上空へ昇り、艦砲射撃の弾幕の外に出ると、北の空を見た。迎撃に上がっている敵方戦闘機についた、アメリカ人を守護する天使や聖人の会釈は全て無視した。空の向こうには弾幕ならぬ魂の幕が見えた。

朝、敵艦隊発見の報を聞いた時は、だれもが必勝を確信していた。夏至に近い今日、北回帰線そばの戦場で、太陽は垂直に昇った。それに向かって東に飛んだ攻撃隊は、上がっていく太陽を日の本の国の勝利に重ね、厳かな霊威をみんなで共有していたものだった。

あれは、幻だったのだろうか。今でも信じられない思いがする。

遥か遠くに飛び去っていく多数の霊を見ながら、済まないなあ、土着の神は遠く離れた太平洋で奇跡を起こせるようには出来ていないんだ、と呟いた。

昭和十九年六月十九日の朝、私、洩矢諏訪子は現代の弾幕を知った。

後世、マリアナ沖海戦と呼ばれる決戦は、大日本帝国の完全な敗北に終わった。

 

 

…………………………

 

 

敵を殲滅するための、恐るべき弾幕、見覚えがあった。かつて、西から天孫の一族の軍勢が大和国に攻めてきた時、敵が月から降らせた矢にそっくりだったのだ。私達土着神は連合を組み、五瀬(いつせ)率いる敵軍を迎え撃った。そして、敵の大将の五瀬を、こちらの大将の長髄彦(ながすねひこ)が、敵に必中する不思議な矢を射て、見事に討ち取った。これで、勝利は我々のものだ、と土着神は安心したのだが……。だが、新しく敵将になった若御毛沼(わかみけぬ)の軍勢が破竹の勢いで紀伊半島を周り、西から攻め込んできた。問題は、若御毛沼、後の神武天皇ではなかった。信じられないことだが、五瀬や若御毛沼ら兄弟の母親が、狂暴化して土着神に襲い掛かっていたのだ。その女こそが、狂った月の姫、綿月依姫だった。彼女は、月の最新兵器である、佐士布都(さじふつ)という刀を持って、こちらの神々はばったばったと斬ったのだ。こちらは、鬼の道具、打ち出の小槌を振って、巨人化して天孫の一族の軍勢を押し返していた。これは非常に強力だったが、反動が来る。何年か経ち、こちらは次第に押し返せなくなっていたところに、依姫が斬り込んで来たのだ。これで土着神連合は崩され、伊勢の方に突破口を開けられてしまった。

それだけではない。敵は、こちらの切り崩しを図り、寝返りや和解を呼びかけての酒宴でのだまし討ちなど、汚い戦術をこれでもかと仕掛けた。こちらは、嘘をつけない鬼を筆頭に、先住民の純朴な信仰を得て何万年も土地に住んで来た神々だ。月のあまりにも汚い作戦に、こちらは何度となくひっかかった。

極めつけは、月から降り注いだ、容赦ない矢だ。土着神にとっても力の源になるはずの満月から、天空を覆うほどの矢が振って来て、神々は逃げ惑い、次々に討たれ、倒れた。矢が発する風、矢風が、月から地上に向かって吹き荒れた。土を浄化する作用を持った矢は、土着神の棲家である土を霊的に浄化し、信仰のよりどころを奪っていった。

最終手段として、自分たちの土地もろとも汚染するミシャグジ様の穢れによる祟りの攻撃を、私は提案した。しかし、自分たちの民の土地を汚染する作戦は、ついに実行できなかった。

そして、我々土着神連合は敗れ、長髄彦は殺され、他の神々も散りぢりになった。

 

 

…………………………

 

 

その年の冬、マリアナ沖での敗北により、もはや敗戦が確実な情勢で、日本の神々は台湾神宮に集まった。

「信濃、沈没したよ。お前、神風をもう吹かせられないんだろう。どうするの」

神々の席で会った、八坂神奈子(やさかかなこ)にそう言った。その隣の建御名方神(たけみなかたのかみ)は気まずそうにしている。

「信仰を海外に増やせるチャンスと思ったのだが、情勢は厳しい」

この期に及んで何を言うのか、と私は呆れた。

そこへ、月から降りてきた月の使者たちが姿を見せた。かつて土着神連合を一人で破った、綿月依姫。そして、その姉の綿月豊姫(わたつきのとよひめ)だ。

何を言うのだろう、と思っていた皆の前で、彼女は衝撃的な告知をした。

「台湾沖航空戦のようなでっち上げを天皇に奏上するような軍部は、もはや月に住む神々にとって支援に値しません。すでにキリスト教の聖人らとは、日本が降伏しても国体護持する約束が出来ています。土着神の方々、今までご苦労さまでした」

土着神たちが一斉に動揺した。

それだけ言って、月の使者は去ろうとした。その背中に私は怒鳴った。

「待ちなよ。協力すれば信仰を増やすって約束だったじゃないか。それが得られないなら、かわりに月の土地をよこせ。月に神社を建てさせろ」

私の提案が突拍子もないことに思ったのだろう。依姫が振り向いた。

「面白いことをいう。また会う機会があれば、その時に話し合いましょう」

そう言って、依姫は出て行った。私は、呆然自失になっている建御名方神と八坂神奈子の二人を見て、こう言った。

「降伏した後、アメリカの精神文化がどっと入ってくる。御柱祭だは守りたい。もしかすると、

有史以来の諏訪の歴史も、これで終わってしまうかも。こうなることわかっていたら、止めていたのになあ」

「そのために、我々がずっと目をかけていた諏訪の永田鉄山は殺さてしまったではないか。打つ手はなかった」

そこまで言って、日本第一軍神の裏の神、八坂神奈子は答えなかった。表の神である建御名方神も私を睨んだ。

「諏訪子、いま、何か呪詛を唱えたか? それとも穢れを……」

「この戦争が終わったら、神奈子は私を封印するつもりなんだろう。呪って何が悪い」

八坂神奈子は、黙って答えなかった。

明治維新の際、日本中の土着の神々の力を奪おうと画策したのは、月の民およびその指示を受けた伊勢の連中だった。古代から続く各地の神官の血統は、次々と公務員として送り込まれた別の神官に奪われ、体よく追い払われた。諏訪の大祝を司る一族だった諏方氏、住吉大社の神官の津守氏など世襲の神官は潰された。これに強く抵抗できたのは事実上出雲大社だけだ。

しかし、明治の祭神論争の際、異変が起こった。皇室の祭神として祀るのは、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の四柱にせよ、とする伊勢派と、出雲の大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)も加えて五柱にするべきだ、と主張する出雲派が鋭く対立したのだ。そして、天神地祇の神格をかけた戦いは、伊勢派の勝利に終わり、出雲もまた中央から排除された。月の都は皇室の祭神から大国主一派を追放することに成功し、ここに土着の神々の事実上の討滅は成った。

ところが、いざアメリカと戦うという段になって、月の連中は土着の神々に協力を求めて来たのだ。我々は呆れた。

もし明治維新の際、伊勢のアホどもが土着の神々を尊重していれば、こんな戦争など圧勝で終わったはずなのだ。奪うだけ力を奪っておいて、今さら戦勝祈願など向こうに通じるはずがない。伊勢の呪術も高野の呪術も、アメリカの守護天使や守護聖人に弾かれてばかりだ。せいぜい、大統領を一人呪殺できそうなくらいである。

私は、神奈子が思うのと同じように、せめて永田鉄山が生きていれば、と思った。永田は諏訪に生まれた秀才で、将来は元帥にも首相にもなったに違いない人材だったが、陸軍の軍務局長の時、天つ神の意向を受けた伊勢の差し金なのだろう、軍務局長室の中で神懸りのごとく狂った軍人に斬殺されてしまった。

あの時、ああ、日本はもう駄目かな、と思ったのだ。そして今や、大日本帝国は滅亡の危機にある。

 

私は台湾の土着の神々の聖地を周り、また移民としてやってきた大陸の民の宗教、道教の施設である道観を訪れた。霞海城隍廟(シャーハイチェンファンミャオ)という大きな道観だ。台湾の人々の信仰を感じるには、ここが一番面白いし、良く情報も集まった。戦時中だというのに、いや戦時中だからこそか、人々は宗教施設に集まる。諏訪の四つの社に人々が戦勝祈願で詰めかけるように。しかし、私はそういう信仰にも、神であるにも関わらず、少し白けてしまっている。霞海城隍廟の三川殿の中門の前で、私を呼び止める者があった。

「貴方、日本の神様でしょう。蛙の」

青い服を着た女の道士だった。人間性を失うほどの邪気を纏っている。

「邪まな仙人が私に何の用」

「蛙の肉は私の好物で」

「そう。でも、日本の蛙は毒を持つものもいるんでねえ」

「日本が負けたら、あの台湾神宮もさっさと潰されるわ。私、上海の租界からやってきてね、台湾神宮の跡地開発をどうしようか、という美味しい話に乗っているのよ」

「風水、でしょう?」

「そうそう。あの場所はホテルを建てると良いと思うわ。それも道教のデザインを取り入れた楼閣のようなホテルが。貴方たちは馬鹿ねえ。あんな借り物の信仰なんて根付くわけがないのに」

その通りだ。日本の神々はしょせん、日本から離れては信仰を持てない。パラオの南洋神社、樺太の樺太神社、朝鮮の京城府にある朝鮮神宮、北海道の北海道神宮、満州の神社、どれもこれも、神性の薄い小屋でしかない。

なぜ、パラオの南洋神社にはパラオの土着の神々を祀らなかったのだろう。なぜ、北海道神宮にはアイヌの神々を祀らなかったのだろう。キリスト教のような一神教の真似事をして、神々を輸出する、なんてことは馬鹿げたことだ。どんな土地でも、最も強力なのは、先住民の信仰なのだ。もし、神々を輸出するのではなく、神道のように多神教を組織化する、方法そのものを輸出して東亜各地の多神教を取り込み、神道自体を日本の神々だけでなく全世界の神々を平等に祀る宗教に育てていれば、この戦争に勝ち目が生まれたかもしれないのに。別に私は、諏訪の信仰を、インドネシアやモンゴルの国民にあるいはオーストラリアやアフリカ、ヨーロッパ半島の国民に布教するべきだ、などと思っていない。よその土地にはよその土地の土着神がいるのであり、あっちのことはあっちに任せればよいのだ。

しかし、天神地祇のうち、我々地祇はそう思っていても、天神の連中はそうは思っていない。記紀にも書かれている天神たちこそが、世界のあらゆる宗教や神々の頂点に位置し、ヤハウェ=アッラーや如来たちなど比べ物にならないほど上位だ、と思っている。月の民のうち、あの月の使者である綿月依姫をはじめとする日本の神々の派閥に属する連中は、根本的にそのような傲慢さがある。そして今起こっている、大東亜戦争も、根柢においては、ヤハウェ派の月の民と、神道派の月の民、そして地上に出現した「共産主義という名の妖怪」の間の、思想闘争がもたらしたものなのだ。

「日本が負けた後、台湾が無事で済む保証はないと思うけど」

「日本人はずる賢いからねえ。ドイツの二の舞は避けるでしょうね。つまり、本土を中心とした四方向の土地を捨石にして、本土だけは安泰を守ろうと。そうしたら台湾も分断されるかもね」

「捨石にする?」

「貴方は蛙だからわからないのかしら? 日本語に蜥蜴の尻尾切り、って言い回しがあるでしょう。日本はその尻尾を四本も持っているのよ。北東、南東、南西、北西の四方向へね」

「それを全部切って、本土だけは守ろうとすると」

「そう。北東は、アイヌの土地だった樺太南部、千島列島、北海道。最悪北海道を全部ソ連に盗られても全然構わないと、少なくとも月の都で日本に肩入れしている連中は思っている。しょせんあれはアイヌが住んでいた土地で、日本の神々は住んでいなかったからね」

「ソヴィエトが攻めてくるって?」

「日本の土着の神って、何にも読めてないのねえ。ソヴィエトは間違いなく来るわよ」

「それで他の尻尾は?」

「南東の尻尾が、小笠原、マリアナから南洋に繋がる方ね。マリアナは日本人が三等国民と蔑んできたチャモロ人の島だし、小笠原も歴史的には無人島のようなものだから、まあ負けたらアメリカに差し出すでしょう。南西の尻尾は台湾と琉球。大和民族の本音は、琉球人を米軍に皆殺しにさせてもそれで本土が守れるのなら全然構わない、ってことなのよ。あとは……ここ台湾はむしろ大陸の共産党次第。そして北西の尻尾は満州と朝鮮半島。満州は確実にソヴィエトに奪われるでしょう。あとは朝鮮半島で食い止めるかどうか。なんにせよ、共産主義勢力と自由主義勢力の境界線は、北東の本来のアイヌ圏と北西の満州・朝鮮半島の中に引かれて、ドイツのように本土が分断されることはない。日本人のこういう頭の良さは褒め称えるべきね」

「わからない。私達は、敵さんの関東上陸もあると思っているのに。九十九里浜と江ノ島から同時に上陸されて東京が挟み撃ちになるんじゃないか、関東一帯の臣民は皆殺しにされるんじゃないかって」

「土着神はそう思っていても、上は違うわよ。今はもう、共産主義という、あの妖怪をどうするか、我々道教の者も、キリスト教の天使達も、その話題ばかり」

「で、私に話しかけたのはなぜ?」

「いえ、いずれ私は日本に行こうかな、と。復活させたい人がいるのでね。だから日本人の宗教観が変わるかどうか、ひょっとしたら今後日本人のほとんどがキリスト教に入信するようなことが起きるかどうか、貴方の意見を聞かせて欲しいのよ」

私は、台湾の最後の数日、この霍と名乗る道士とちょくちょく話した。この戦争が終わったら、私は諏訪の地の奥深くに封印され、永遠の眠りに就かされることになる。神奈子がよほど失望したのか、あるいは諏訪の信仰を潰されないように私を隠すのか、ともかく、何もかもうんざりした私は考えることを止めていた。

 

 

…………………………

 

 

守矢神社の風祝、東風谷早苗が腕によりをかけて作った、美味しい昆虫料理に舌鼓をうちながら、私は早苗にかつての戦争の話をした。

「それで、諏訪子様は、ぐうぐう寝てらしたのね」

「そう。むにゃむにゃ言ってた。神奈子が幻想郷という場所へ引っ越すというのも、むにゃむにゃと返事していて、気付いたらこんなことになっているとは」

「神奈子様は北海道から沖縄まで日本中を巡って引っ越し先を探したそうですけど、『北海道はやっぱり凄い。道端の名もない神社がもれなくただの小屋』って言ってました」

「そうだろうね。アイヌの地では、本土の神は先住民の信仰には、なれない」

「諏訪子様は、先住民の信仰(ネイティブフェイス)を大事にされるのですね。神奈子様の方は、いずれ外の世界に戻って信仰を拡大し、やがては全人類を諏訪信仰の信者にしたい、なんて思っていそうですが」

「で、世界中から何億もの人間が諏訪を巡礼するっていうの? やめてよ、馬鹿馬鹿しい」

「そうですか? 私はそういうのも楽しそうだって思いますけどね。幻想郷でもさっそく、麓の神社に布教してきましたし」

「そのくらいならいいけど、日本を離れて布教することはないよ。よその大陸にはよその蛙がいる。色んな鳴き声をするのがね。そこにウシガエルをバラ撒いて現地の蛙を絶滅させるようなものだ」

「そうですか」

紅葉で染まった妖怪の山の、その中腹に造営されたばかりの守矢神社の境内で、東風谷早苗が興味深く聞き入っている。大祝の諏方氏はついに断絶してしまった。風祝の家系も、この早苗が最後の一人だ。

「とにかく私は、早苗や神奈子が霊夢や魔理沙と戦う音で、目がぱっちり覚めた。まるで、永久凍土の冬眠から目が覚めたみたいだわ」

「どうです? この幻想郷は素敵だと思いますが」

「弾幕ごっこというんだっけ? 早苗とさっき練習したけど、あの遊び、気に入らないね。美しい弾幕だなんだと看板に掲げているけど、本物の弾幕はあんなんじゃない」

早苗が不満そうに口を尖らせた。

「いいじゃないですか遊びなんですから」

「ほら、早苗の祖母が従軍看護師の表彰を受けたのは、つい十年ほど前だろう? 弾幕ごっこだなんて……戦争を遊びにするもんじゃない」

「ここの妖精達は、戦争も大きないたずらって、考えてますよ。平和な幻想郷でそんなに固く考えなくても」

「そもそも神奈子に嵌められて勝手に連れて来られただけだし、私はとっとと外に帰るつもりだからね」

「まあまあ、もう少しのんびりしましょうよ。……うーん、本物の弾幕と比べられると、ねえ。でも、諏訪子様が体験したアイスキャンデーの弾幕、見たかったなあ。戦闘機乗りってかっこいいですもんねえ」

「知らなくていい。早苗は戦闘機なんて向いてない」

「じゃあロボットですね。戦闘用ロボットに乗って宇宙で弾幕を掻い潜り、銀河の嵐を抜けて、敵の宇宙船を落としてみたいですね」

「銀河の嵐(ギャラクティックストーム)は難しすぎるから、地上の高速道路を飛ばすぐらいにしておきなさい」

「諏訪子様は、あのゲーム大好きでしたもんね」

「私は、平和主義者(パシフィスト)だからね。いいかい早苗、本物の弾幕に出会ったら、早苗でもきっと死ぬことになる。あまり良い死に方じゃないから、止めておくんだね。それに女は子供を産むことをまず考えたら」

「時代錯誤ですよ。そりゃあ、一子相伝ですから、いずれは産みますけどね」

「昔はね、早苗くらいの歳なら子供が二人か三人ぐらいいてもおかしくなかったんだけどなあ」

「またまたそんな」

「女ってのは、十二にもなれば嫁いで、三十までに十人ぐらい産んで、そのうち三人か四人を大人に育てあげるものだったんだけどな。それが何千年も続いてきたのに。あの棚畑で見つかった土偶の元になった娘は、早苗そっくりでねえ」

「またその話ですか。縄文のビーナスは私にそっくりって話、聞き飽きましたよ。あれのどこが私に似てるんですか」

「どこが、ってどこもかしこも、瓜二つじゃないか。顔が」

私がうまく話を逸らして、弾幕の話はなくなった。早苗が、まさか戦争だとか現実の対空砲火なんてものに憧れているとは思わないが、この子は変なところがあるから、将来が心配だ。

そんなことを考えながら視線を外へ向けると、鳥居の外の広大な裾野の中に、雲の境界が出来はじめた。ところどころ稲光も見える。秋雨の前線が通っているのだろう。

「下界の方じゃ雨が降っているね。すぐに外へ戻るつもりだけど、せっかくだからちょっと見物して回ってくるよ」

私は、ある用事を済ますために神社を飛び出した。竹林になにやら兎が住んでいるという噂を聞いたのだ。

 

そこは迷いの竹林と呼ばれる竹林だったが、一切迷うことがなかった。一羽の兎が案内してくれたからだ。

雨が降りしきる中、永遠亭と呼ばれている屋敷の屋根に着地すると、そこの住民たちの会話が聞こえてきた。

「どこが雨漏りしてるかなんてわからないよ。困ったなぁ……」

傘を差した妖怪兎が二人、屋根の上に上がってきたのだ。そのうちの背の低い方と目が合った。

「………何に困っているのかしら」

私はにこやかにそう言った。傘を差している背の高い方は、鈴仙・優曇華院・イナバという名だった。屋根が雨漏りしているので穴を探しに来たらしい。

「なるほど、雨漏りがひどくて困っていると」

「はぁ…」

私がほうほうと話を聞いていると、その後ろにいた背の低い方が、こんなことを言い出した。

「鈴仙、鈴仙、もしかしたら雨降らせているの、コイツかもよ!」

鈴仙はその言葉に敏感に反応した。

「む」

「しかし(しかも)堂々と永遠亭(ここ)に乗りこんできてるよ!」

「! そういえばそうね!?」

何がそういえばそう、なのかわからなかったが、鈴仙は私を敵と認識したようだ。

「よーし、鈴仙やっつけちゃえ!!」

「よしきたー」

小さい方が、きゃーと歓声を上げ、鈴仙はスペルカードの参を宣言した。

「幻兎『平行交差(パラレルクロス)』!」

鈴仙が六人に分裂したように見えた。幻覚だ。

私もよしきたとばかりに応じた。早苗と乗り気のしない練習をした甲斐があったというものだ。初めての弾幕ごっこに少しだけ昂った。

「あ、ちなみに」

小さい方が何か言いかけたが、鈴仙は分身の幻覚を展開しつつ私の方に突っ込んで来た。

勝負は一瞬にしてつき、鈴仙は私がカウンターで発動した神桜「湛えの桜吹雪」の弾幕に打ちのめされた。

「そいつ、神様だから。だいぶ強いよ」

屋根の上に倒れ臥す鈴仙の後ろで小さい兎がそう言った。私は人生の勝利者のようにポーズを取った。

意外と、楽しい。不覚にもそう思ってしまった。

 

永遠亭で思いがけない歓待を受け、私は湯を馳走してもらった。一人で永遠亭の大きな湯船に浸かっていると、兎が入ってきた。さきほど会った背の小さい方、因幡てゐである。お互いほとんど無言だった。身体を洗うてゐを、私はしげしげと見つめた。その視線に気付いたのか、こちらを見ずに、てゐがぼそっと言った。

「さっきの、神桜『湛えの桜吹雪』というスペルカード、あれは難しすぎる」

何を言うのかと思ったら、先ほどの弾幕ごっこの話だ。私は帽子の目だけ水上に出したまま黙っている。

「あれじゃ人間は避けられない。人間と会ってスペルカード戦になった時は、うんっと易しい弾幕を撃たないと」

そう言ったあとでてゐは、湯船に入り「後で竹林の外で待つ」とジェスチャーをしてから出て行った。壁に耳あり、ということなのだろう。

お風呂から上がって、私は八意永琳という薬屋の少女と酒を飲み交わした。

その時、この屋敷の主だという蓬莱山輝夜なる少女がこちらを見ているのに気付いた。

「あらお客様」

そう呟いた輝夜は、姿を消すと、しばらくして勢いよく障子を開け、再び姿を現した。

「たーっ!」

輝夜は真っ白なシャツを着ており、そのまま胴体ごと私に突撃してきた。私は咄嗟に神通力で輝夜を弾いたが、私はその名前と、触れた瞬間のとある感覚で、この少女が本物のかぐや姫なのだ、とわかった。

「あら? カエルはぶつかれば服の中に取りこめると、モノの本で読んだのだけど…おかしいわねー」

何やら言い出した輝夜を鈴仙がたしなめた。

「いやいや無理ですから」

ところが、先ほどの背の低い方の兎、因幡てゐが余計なことを言った。

「そうだよー。もっと勢いよくいかないと!」

輝夜は再びこちらを向いた。

「なるほど!」

「あぅー!?」

輝夜は再び胴体ごと私にぶつかって来た。私の神通力がかき消され、頭にガツンと喰らった。まずい、このままでは本当に……、と思った時、輝夜は、ふふふ、と笑い、身を離した。

永遠亭の者たちは、極めて興味深かった。私はおおいに感嘆したものだ。

「さて、そろそろ帰ろうかね。そろそろ早苗が心配しだすだろうし」

私は暇乞いを告げた。

「なかなか楽しかったよ。今度、ウチの神社にもおいで!」

そういって、私は永遠亭を後にした。そして、永遠亭から少し離れた竹林で、人を待った。

雨が、止んだ。

「洩矢の、久しぶりになるねえ。どうだった、なかなか凄かっただろう」

「そうかしら、普通だわ」

あの背の低い兎と、ぼんやりとしたとらえどころのない輪郭の少女が現れた。

「普通じゃないよ。因幡の、凄かったねえ。あれ、八意の奴だろう? あんなに腑抜けちゃったのかい。貴方の仕業?」

私は、霊体の少女に声をかけた。

「私じゃないわ。永琳の中にある、八意の神としての神格は鍵がかかったままなの。私の方は屋敷にかけた永遠の魔法を解いた時に、この神格も顕せるようになったんだけどね」

霊体は、蓬莱山輝夜にそっくりの身体だった。古来より、赫夜姫(かぐやひめ)、あるいは迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)と呼ばれる神としてのかぐや姫の姿である。

「神格を遣えるということは、月の都にはここの場所はばればれなんだよね?」

「ええ、ばれたわ。この前の永夜異変の際にね。でも、月の都が送り込んだ使者たちは、私達を無視した。妖怪の山に住む石長姫の方に用があったみたい」

「それで、皇室に男子が生まれたのか。迦具夜、貴方だって良かったんじゃない?」

「私は石長姫以上の反逆者だから、駄目よ。でも、だからこうして貴方と話が出来る。この因幡もやる気まんまんだし」

かつて、因幡の兎神として名をとどろかせた少女が目の前にいる。

「お前さあ、こんなところに隠れていたの。この間の戦争、大変だったんだけど」

「戦争? 応仁の乱?」

「いや、京の商人じゃないんだから……」

すっとぼけた兎、因幡てゐに私は溜息をついた。自分だって兎神として神社に祀られている癖に……、もっともその性格が変わっていないことに安心もした。

「うちのもう一柱の神、八坂神奈子から話は聞いている。この幻想郷の妖怪が月へ攻め込むんだってね」

私たち守矢神社の三柱が幻想郷の境界を越えて入ることが出来たのは、幻想郷の北東の境界が薄くなっていたからだが、おそらく八雲紫というここの妖怪の賢者が神奈子を招いたのだろう。

「月の使者が、こっちに攻めてきたら、うちの神奈子に迎撃させたいんだろう。つまり、月侵攻を企図しているのは、妖怪の八雲紫……」

因幡てゐが、真っ白い服をふわふわさせながら私の肩に手を置いた。

「いいのよ、連中はどうせ全員負けるんだから。問題はその後」

「綿月とやるの? でも勝ち目はないでしょう」

「うちの兎たちは、これでもなかなかの弾幕を見せるよ」

「無理だね。あいつらは、遊びであっても勝てないよ」

その時、迦具夜が自分の服を摑み、ばさばささせた。

「だから、さっき見せたあの作戦よ。それなら、勝てる。それに味方をもう一人引っ張り出すわ。貴方の相性のいいあの神をね」

私は、くらくらした。

「あいつを呼ぶの? で、まさか三柱で……嫌よ。絶対に嫌」

「それしか勝つ方法はないわ」

「興味ない。だいたい、この幻想郷ってところに来たのも、偶然なの。早く帰るつもりなんだからね」

しかし、自分がある程度は巻き込まれることは覚悟していた。すでに、守矢神社は月の使者と戦うため、幻想郷にあるという三種の神器を集める算段をしている。しかし、三種の神器があるとわかれば、月の使者を一度撃退しただけでは終わらず、何度もまみえることになるかもしれない。

私は、陰鬱な黒い溜息を吐いた。

「とにかく、その計画の頭数に私を数えないでね。じゃ、またね」

 

 

…………………………

 

 

守矢神社に帰ると、参道の方が騒がしくなっていた。

「あら、もしかして先に進むつもり? 駄目よ。永遠に眠り続ける私の友人が居るんだから」

神奈子の酷い言葉が聞こえてきた。永遠に眠り続けさせるつもりだったのだろうが、こっちはとっくに起きている。そう思って眺めていたが、神奈子は実に楽しそうにやってきた人間と弾幕ごっこに興じていた。幻想郷を去る前に、もう一度くらい弾幕ごっことやらをやってもいいか、と思った。易しくて使えないだろう、と思い没にする予定だった符も十枚ぐらい用意してある。

一方で、神奈子を破った霧雨魔理沙という人間がこちらへ向かってやって来た。神奈子はあんなことを言って、その実、わざと負けて私を引っ張り出したかったのだろう。

「途中、神奈子が言っていたな。やはりこの神社には何か別の神様が居るんだ」

私は声をかけた。

「*おおっと* これは珍しい」

私が姿を見せると、真っ黒な服で身を固めた魔理沙が、ぱっと目を輝かせた後、すぐに表情を隠して、不遜な態度を見せた。なるほど、癖のある人間のようだ、きっかけさえあれば意外と宗教にハマるタイプかも、などと思いながら、私は続けた。

「神奈子が本殿まで人間を通すなんて」

「いやまあ勝手に通ってきただけだけど……お前は誰だ?」

「この神社の本当の神様よ」

私は色々と事情を説明し、魔理沙はそれを聞いて、そのまま帰ろうとした。私が予想外に強そうだと思ったらしい。こちらは人間用に易しいスペルカードに切り替えているというのに……。私は、ちょっと、むかっとした。

「神様の世界も大変そうだな。じゃ、この神社の秘密が少し判ったから、わたしゃこの辺で」

「何言ってるのよ。わざわざ本殿まで訪れた参拝客、只で帰す訳にもいかないでしょう?」

「お、何か手みやげでもあるのか?」

「貴方は神社に踏み込んだのだから、早苗と神奈子にもしたように、私とも弾幕祭りを行う必要があるわ!」

こうして、私はちゃんとした弾幕ごっこを始めた。

魔理沙は、流石に早苗と神奈子の弾幕戦に勝っただけあって、開宴「二拝二拍一拝み」を簡単に避けた。土着神「手長足長さま」も、おっかなびっくりだが避けられた。その時だ、真剣なまなざしで弾幕を楽しむ魔理沙から、信仰が発生したのがわかった。

「移動型ストレスタイプか。なかなか面白い弾幕を出すな。手と足が長い異形の神様って、はっきり言って妖怪だな。土着神って要は田舎の妖怪が田舎の神様の振りをしているってことか」

「本当に神様だから。妖怪じゃないから」

からかわれたが、魔理沙は私の弾幕を評価したようだ。

魔理沙の方は、コールドインフェルノという魔法をあちこちに展開して、私に当ててきた。眠気を誘う冷気を浴びせられて、「手長足長さま」も敗れた。

「神具『洩矢の鉄の輪』」

私が巨大な鉄の輪を大量にばら撒いた。輪が迫り、魔理沙がちょっと焦った。しかし、弾幕の性質を瞬時に見抜かれ、これも避けられてしまいそうだ。何しろこれも、てゐの助言通り、人間用に思いっきり易しくなっている弾幕だ。本当は、神奈子の御柱「メテオリックオンバシラ」と互角に戦えるように調整した鉄輪「ミシカルリング」という弾幕を放ちたかったのだが。

「おお? この鉄の輪は何なのか?」

「フラフープよ」

「凄いな。それにシンプルかつ大胆な攻撃で私好みだ」

弾幕自体は避け切られてしまったが、魔理沙の私に対する信仰がまた少し上がった。

「源符『厭い川の翡翠』」

私は、もともと用意していた、姫川「プリンセスジェイドグリーン」という弾幕を思いっきり易しくしたスペルカードを展開した。これも魔理沙はすぐに性質を理解した。

「山の上の神社ですいすい泳げるぜ」

こう言って、魔理沙は、空中をクロールして泳ぐ真似をしながら避けた。美しい翡翠の弾が山の紅葉と青空の間に映えた。

「そう、このスペルカードは川の流れをイメージしたものよ」

「実は翡翠好きだぜ」

弾幕ごっこの要諦だけは聞いていた私は、五枚目あたりで、自分の周りを相手に大きく回らせる弾幕を用意した方がいい、と早苗に言われていた。それが蛙狩「蛙は口ゆえ蛇に呑まるる」である。

「ほお、自虐弾幕まで用意するとは、知っているじゃないか」

どうやら、この幻想郷では強い妖怪ほど、余裕を見せるため自虐的な意味の弾幕を用意するものらしい。「神罰」だとか「自尽」だとかつけたスペルを使う者もいるらしい。さらに私はとっておきの弾幕を放った。

「諏訪大戦〜土着神話vs中央神話。古の戦場で侵略者に抵抗した先住民の叫びを見よ」

私が鉄の輪を武器に、侵略者と戦った時の戦場を模した弾幕を展開した。もっとも、神奈子の放った藤の蔓で鉄の輪は錆びてしまい、私は敗れることになるのだが……。

「まて私は民間人だ」

魔理沙は、今までとは違う難しさに戸惑った。

「身に覚えのない戦場に放り込まれるなんて、迷惑極まりない」

これはいわゆる耐久型のスペルカードという奴で、十枚勝負の場合は、九枚目に必ず用意するよう早苗からきつく言われていたタイプである。どうやらこれが幻想郷の様式美らしい。

「自分に関係無く戦闘が繰り広げられるんだな。疎外感が半端ない」

そう言いつつ、流石に弾幕に慣れている。すいすいと避けた。しかし、最後の方は私も当てるつもりで撃ち、ついに避けられなさそうになった魔理沙が、紅葉(もみじ)の力が込められた霊撃を放った。どうやら、弾幕ごっこを鑑賞して楽しんでいる、秋の神々の好意が魔理沙の霊撃を可能にしているようだ。もちろん、私は霊撃なんて弾幕でもなんでもない卑怯な攻撃なんてダメージとして認めない。

「どうやら厳しくなってきたようね。次が最後よ」

私はボーナスとして魔理沙に霊力を与えた。これも力の強い者が人間と対等に戦うための様式だそうだ。だが、魔理沙が私の眼前までやって来て、その霊力を受けた。

「どういうつもり?」

「いいから、最後の弾幕を見せてみろ」

「いいわ。祟符『ミシャグジさま』」

その時だ、私の目の前に、コールドインフェルノの四つの柱が集結したではないか!

「やった! コールドインフェルノ、四発当て、初めて成功したぜ」

今までは横に四本並んでおり、私へは同時に三本までしか当てられないはずのコールドインフェルノが四つ集まっている。

「そんなのあり?」

流石に凍るような冷気を四つ浴びて、私の体力がごりごり減っていった。

「神奈子の『風神様の神徳』の時もこれが出来そうだな。今度あいつにも試してみるか。それにしてもこの『ミシャグジさま』って、交差弾だけ? 簡単だな」

十枚のうち、最後の弾幕は単純な力押しにした方がいい、と早苗から言われていたのに従ったのだが……流石に簡単にしすぎたか。

「人間にこんな技があるなら、もっと難しい弾幕にすれば良かった」

「残念、こっちだって、もっと強い攻撃があるんだぜ。貫通レーザーがな。あまりにも強すぎるんで自分で封印してしまったがな。だがこの弾幕、限りなくシンプルで美しいな。でも、もうちょっと怒らせて強い弾幕を見せて貰うのでも良かったな」

すでに勝利を確信したのか、そんなことまで言われてしまった。しかし、敗北を目前にして、私は不思議な快楽を得ていた。この弾幕ごっこは、かなり優れた遊びだと、認めざるを得なくなっていた。外の世界の、本物の弾幕とは全然違うけど、確かにこれは面白いかもしれない。

ついに私の規定体力がなくなり、魔理沙の勝ちになった。

「あはははは。天晴れだわ。一王国を築いたこの私が、人間に負けるとは」

「弾幕においては私が先輩だからな。勝たない訳にいくまい」

「人間でも神様と同等の強さを発揮できる弾幕ごっこ……幻想郷には賢い事を考えた人がいるのね」

「基本的にみんな頭が良いからな。……一部を除いて」

私は、考えを百八十度変えた。すっかり幻想郷に住む気になってしまった。あの陰惨な、本物の弾幕とは違う、精神的な美しさと楽しさがこの遊戯にはあった。

「よし決めた! 私もこのまま幻想郷に住もうっと」

「そのつもりで幻想郷に来たんじゃないのかよ。また帰るつもりだったのか?」

「神奈子が勝手に神社ごとこっちに持ってきただけよ」

「ああそうかい」

魔理沙が、その後、小声で「……亜阿相界って植物の名前で……」と言いかけたのを私は遮った。

「でも、神奈子には見えていたのかもね。幻想郷に、神様のセカンドライフが眠っている事を」

背後の本殿の方で、私の戦いを見ていたであろう神奈子が、ちょっと笑った気配がした。

こうして、私は幻想郷の一員として、ここに住むことになった。

 

 

…………………………

 

 

数年が経った秋。月面での死闘も遥か過去のものとなり、私たちの神社もすっかり幻想郷になじんでいた。なじみ過ぎて、今では異変を引き起こしてしまうほどだ。やりすぎだ、と色々な人間と妖怪から文句を言われるほどになり、祟り神の性質も持つ自分は、それが結構嬉しかったりする。

茄子の精進揚げや凍み豆腐の煮ものを美味しく食べていると、今日も早苗が愚痴を言い始めた。麓の博麗神社の巫女と酒宴で喧嘩をし、一本取られてしまったらしい。

布教には失敗したものの、小さな分社を博麗神社に置くことに成功し、早苗は頻繁に東の果ての神社に顔を出していた。お酒があまり飲めない早苗は酒の席で、同じくお酒がそこまで強くなく、しかもたまに良くない酔い方をする霊夢に絡まれてしまったのだ。

「霊夢さん、『この私の酒が呑めないだと? 幻想郷を救ったこの私の!』なんて言い出すんですよ。いくら酔っているとはいえ、酷い言い草だと思いませんか?」

明らかに霊夢に問題があったが、大伴旅人を持ち出した霊夢に、早苗は言い返せなかったのだという。私と神奈子は思わず大笑いしてしまった。

「言い返せなくてちょっと悔しいわ」

「そう? 悔しい? じゃあ、少し意趣返しでもしてみる?」

私は、霊夢に恥をかかせる、陰湿ないたずらを伝授しながら、平和を感じていた。

二つの宗教グループが喧嘩しても、この程度で収まるのだから。

外の世界では、再び宇宙開発競争が始まろうとしている。もうすぐ、中国が月へ送り込んだ、嫦娥三号が、虹の入江に着陸する。これは必ず成功するだろう。月面戦争の余波が新しい時代を切り開こうとしている。

我々も、いずれは月に神社を建てるつもりだ。

でも、もうしばらくはこの幻想郷を楽しもう。 

神奈子と早苗と、霊夢への意趣返しの作戦で盛り上がりながら、私はそう思った。

 

第十九章に戻る 月々抄の入り口に帰る  

※この他の章はしばらくお待ちください。

inserted by FC2 system