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第三章

夜明け2 蝙蝠のクォリア 〜 A Study in Scarlet.

♪月々抄 〜 Oriental Orienting toward Orientation‐Oriented Orient

 

第八星 秋姫さま

 

ある満月の夜、幻想郷の東方の空に光る何かが落ちていくのが見えたと蝙蝠から報告があった。派遣した蝙蝠たちによると、光る羽衣に包まれた妖怪のようだという。

「天蓋が砕けてしまったからね。月の羽衣をまとった何者かが落ちてきたんだろう」

報告を受けたレミリアは竹林の永遠亭も監視するよう蝙蝠に伝えると、こともなげにパチュリーと咲夜、そして私に説明した。

♪そのせいで隕石が降ってきたけど†

鬼が天蓋に映った月を天蓋ごと砕く事件があった。天蓋はすぐに元通りになったように見えたが、一部分に修復しきれない穴が開いているのだ。それを見計らったように幻想郷目掛けて隕石が落ちてきたことがあり、私はそれを察知して砕く、という事件も起こった。ついでにその件で新聞記者にしつこく絡まれ辟易することになった。

♪ふむ、どうやらあの隕石は、フランを狙ったと同時に、軌道試験でもあったようだね†

♪軌道試験? †

♪月の羽衣の軌道試験さ。隕石のコースとほぼ同じコースで月の羽衣に包まれた何かが幻想郷に飛来したんだ。これは関係があると見て間違いない†

「天蓋を砕いたのは鬼だったわね」

月が砕けたのは昨年の冬、ちょうど紅魔館で節分大会が催された際中だ。レミリアは砕かれた月を見て、ついに月への道が開けたと言って咲夜にロケットの材料を準備させたのだが、結局咲夜は亀の甲羅を持って帰ったぐらいでロケットを作りあげることはできなかった。そして、月が砕けてから二箇月ほど後に隕石が飛来してきて私が砕いたのだ。それから一年ほど経っている。つまり一年前から鬼が何らかの作戦に参加していたことは明らかだった。

竹林の永遠亭の様子を探っていた蝙蝠たちも報告を持ってきた。竹林は強い結界、特に視覚的な結界がかけられているが、大量の蝙蝠を使った聴覚的ネットワークでいわば蝙蝠海戦術を取れば、少なくとも数匹は永遠亭にたどり着く経路を見つけることができるのだ。

♪羽衣に包まれた妖怪との関係はわかりませんでしたが、永遠亭の輝夜と永琳の主従が興味深い会話をしておりました。次の通りです†

♪「何かあったの?」†

♪「月光が生み出す影に大きな変化が見られる。影が段々と質量を持つようになっている」†

♪「あらあら、じゃあ鈴仙が言っていたことは本当だったのかしら? 月に新しい勢力が生まれて、月を支配しようとしているって。月の兎たちがどっちについていいのかわからずに、大慌てだって」†

♪「兎たちは大げさで嘘吐きだから、どこまで本当なのかね」†

♪「ただ、新勢力によって月の立っている人間の旗が抜かれたらしいわよ」†

♪「その旗は地上に投げ返されたらしいの。私はその旗を森で見つけたのよ。妖精がおもちゃにしていたわ」†

♪「へぇ。人間の旗って月の都の誰も抜けなかったんじゃないの?」†

♪「不思議なんだけどね。月の都の人は表の月を弄れなかったはず」†

輝夜と永琳の口調を出来るだけ真似ようとしている蝙蝠たちだが、それが可笑しくて私は笑いを堪えていた。その蝙蝠たちが、一層真剣な調子になって、一呼吸置いた。レミリアが吹き出す寸前になった。

♪「旗を抜いたってことは、ついに始まるのかしら?」†

♪「始まるわね。月の都を我が物にしようと、増長した月の民同士の穢れなき争い……月面戦争が。そして、確実に来るでしょう。月の都の使者と罪人が」†

私とレミリアの、笑いそうになっていた気配が一瞬にして掻き消えた。

続いて、月の羽衣の落下地点を探りに行った蝙蝠たちが、霊夢が修行を始めており、さらに紫の式神の鴉が霊夢の修行の様子を監視していたことまで伝えてきた。

「ようやく始まったわね。待ちくたびれたわ」

レミリアがそう館の者に言ったのと、美鈴が来客をメイドの妖精たちに伝えるのとが同時だった。

八雲紫の式神、八雲藍がやって来たのだ。応接室で藍は、月侵攻の取引を持ちかけた。藍の話では、月の都から、ある技術を奪う計画なのだという。

「今みたいに、毎日遊びながら、無限のエネルギーを得られるような技術なのです」

さらに藍はレミリアにこうも言った。

貴方のような強力な妖怪が協力してくれるのなら簡単にめぼしい物を見つけてくれると思いまして」

今さらの話だと私とレミリアは笑い合った。

しかし、レミリアがまた他人が用意した策にそのまま乗っかるのは、私は内心不安でしかたなかった。いつも、レミリアは誰かの掌の上で踊っているように見える。

♪またレミィが他の人の駒にならないといいけど†

♪何度も言わせるなよ。他の奴らには私を駒だと思わせておけばいい、本当はあいつらが私の駒なのだから†

♪すべてが終わった後に、そのクソッタレな言い訳もこれで何度目かしら? ……ってきっと私はお前に言うことになるよ†

♪あ〜あ、麗しきスカーレット家の御令嬢様もずいぶん汚い言葉を使うようになっちゃったな。蝙蝠たちが心配しているぞ†

もちろん蝙蝠たちが心配していることは知ってるが、蝙蝠たちもそんな心配は漏らさないだろう。

♪知ってるよレミィ。だからね、見事月侵攻をやり遂げたら、私のオネエサマに対する尊敬の念も弥増すというものだけど†

♪わかったわかった。ところで私が紅魔館を留守にする間、Extra(臨時) Boss(当主)をやってもらうからな。お前こそ、留守を任されている間にスカーレット家への尊敬の念を失わせるんじゃないぞ†

♪ええっ? †

♪一度月に行ったらいつ帰って来られるかわからないから。ほら、今年の元旦に、二人で日本の風習だからって一年の計を考えたじゃない。私の一年の計が月に行くことで、お前の一年の計が一箇月紅魔館の当主をやってみたい、だっただろ? パチェに残ってもらうから美鈴ともどもうまく切り盛りしてくれ。そうだ、ロケットを飛ばす前に壮行会を開催するつもりだから、そのパーティも任せる†

♪私にやらせてくれるの? †

♪パチェから里に住む人間が書いた幻想郷縁起という本の話を聞かされてさ。それがもう酷いのよ。吸血鬼についてなんて書いてあったと思う? 「頭以外が吹き飛ぶ怪我を負っても一晩で元通りになる」だってさ! †

♪まるで、頭を吹き飛ばされたら一晩じゃ元に戻らないかのような書き方ね†

♪そうそう。第一、手足が捥がれて回復に一晩もかかったんじゃ、晩御飯が食べられないじゃない。それに、お前のことも色々書かれてたんだって。『常に孤立している』とか、誰が吹き込んだのかしらないけど、目撃者談として『パーティにもあんまり参加しないんだな』とか書かれたそうだから、お前にびしっとパーティを切り盛りしてもらって……†

♪はいはい、やるやる! †

この姉にしては珍しく気の利いた提案だった。私は二つ返事で請け合った。レミリアは、紫が月に侵攻する前に月を攻め落とす計画を練り、月に行くためのロケット作りが再開された。以前集めた材料も活用され、特に月が砕かれた頃に魔法の森の入り口にある古道具屋、香霖堂で咲夜が手に入れた例の五色の亀の甲が、非常に重要な素材となった。

パチュリーはロケットの製図を引きながら、有用な知識とその数十倍もの無駄な知識を漁り始め、月にはヲチミズという若返りの水がある、とレミリアに持ちかけた。おそらくパチュリーの予想通り、咲夜のためにそれを手に入れてくる、とレミリアは再び張り切り出した。だが、ロケット計画は行き詰りを見せ始めた。動力がどうしても解決できないのである。

パチュリーはフロギストンレインやサテライトヒマワリなど、月まで飛んで行けそうな魔法を見つけ出そうと試行錯誤していたが、それらは新聞記者のネタにはなっても図面に引いたような巨大な物体を飛ばすには不十分だった。

 

こうして満月の夜がやってきたが、その夜は雨が降った。

日本ではこれも雨月と言って愛でるらしいが、私たちは愛で方など知らない。パチュリーがロケットを作っていると、珍しい来客、いや侵入者が大図書館に入って行った。冥界の白玉楼の庭師、魂魄妖夢だ。だがパチュリーは侵入者に気付いていない。そこでレミリアがわざとらしく、ロケットの筒の前に置かれた椅子に座って、パチュリーをじろじろ見た。パチュリーは不審な様子でレミリアに対応していたが、ようやく侵入者に気付いたようだ。

「……ロケットの推進力の決め手が見つからないのです」

パチュリーの口調が突然敬語に変化した。これは、パチュリーがレミリアに対し、自分も侵入者に気付きました、と表明するサインなのだ。こうしてレミリアはパチュリーをからかいつつロケットの進捗状況を確認し、去って行った。一方、隠れているつもりになっている妖夢は、ぶつぶつ独り言を吐きながら盛んにメモを取っている。

「……ロケットの外観は出来つつあるが、今すぐに月へ行ける状態とはとても思えないっと。メモメモ」

よほど妖夢の独り言が間抜けだったのだろう、ついにパチュリーが妖夢の方を向いた。

「で、そこの侵入者はいつまで見つかっていないと思っているのかねぇ」

「およ?」

こうして、妖夢には紅魔館の美味しい紅茶が振る舞われ、妖夢は紅茶に対し、うちのお茶に比べて香りが……などと実に失礼な独り言をいいつつ、それを飲んで帰っていった。私たちは、亡霊が何かこの件に関わっていると感じ始めた。今回のゲームのプレイヤーは予想以上に多いらしかった。

 

そうしているうちに秋になり山が粧い始め、妖怪の山に新しい神がやってきたと鴉天狗のゴシップ紙が一斉に書き立てた。それだけではなんてことはないが、博麗霊夢と霧雨魔理沙が妖怪の山に向かったという知らせを聞いて、何かの異変のようだと紅魔館でも話になった。私とレミリアが時計台の上で耳を澄ますと、確かに山の方からドンパチやる音が微かに聞こえてきた。大規模な弾幕ごっこが始まっているのだ。そこで我が館も遅れてはならじと十六夜咲夜を送り出す支度をした。しかし咲夜が館の者に見送られて妖怪の山へ瞬間移動しようとしたまさにその時、焼き芋の香りが館の空に漂ってきた。私もレミリアもメイド妖精たちも思わず外に出た。

幻想郷の秋を司る神の一柱、秋穣子(あきみのりこ)が紅魔館の上空を通りかかったのだった。

「私? 私は里の祭りの帰りだけど、そこなメイドさんはどちらへ? え、山? 残念、山には行く必要ないわよ」

穣子の話では、妖怪の山には入山規制がかかっている上に、霊夢と魔理沙以外は必要とされていないと言った。要するにこれは異変でもなんでもなかったのだ。

穣子の説明によると経緯はこうだ。

新しく妖怪の山に住み着いた神は、再び月の民に妖怪の山がやられないよう幻想郷に住む神々が外の世界から呼び寄せた用心棒なのだという。それもただの用心棒ではない。元・日本第一軍神である。しかし一つ問題があった。幻想郷に移った際に信仰を失っていたのだ。その状態で果たして実力はどの程度なのか八百万の土着神たちは心もとなかった。だが、侵入者の月の民に対し、意識する暇もなく全滅した天狗や河童にはこの神のことを伝えていなかった。古くから幻想郷に住んでいる、所謂「古参」の妖怪たちはプライドだけは高いので、用心棒を雇ったなどと言おうものなら神々と険悪になる。そこで、こっそり山の妖怪と用心棒の神様を戦わせることになった。

そこで、ちょうど季節が秋だからと、八百万の神々の中から選ばれた秋(あき)(しず)()が、妖怪の山全体を監視していたのだという。

紅葉を「司る」 秋静葉は、舞い散る紅葉があるところに必ず遍在している。よって紅く染まった妖怪の山を監視するにはうってつけなのだった。しかし軍神の力量を試すのは河童や天狗たちだったはずなのだが、そこへ人間の霊夢と魔理沙が相次いで現れた。そのために八百万の神々は急遽、二人を使って侵入者を想定した抜き打ちの模擬戦をやることに変更したのだという。今頃、何も知らされていない山の妖怪たちは慌てて迎撃しているだろうと穣子は笑った。

「人間と新参の神様の戦いにも興味あるけど、あの二人じゃあ八坂神奈子(やさかかなこ)にたどり着く前に、満身創痍になって天狗に後ろ指さされて嘲笑されて石投げられるのが落ちだと思うけどね。無礼千万な人間たちにもちょうどいいお灸だわ」

その言葉に、私は久しぶりに疼いて広大な前庭に飛び降りた。この神は霊夢と魔理沙にわざと負けてニコニコしている。それは気に入らない。

「私も遊びたいわ」

飛び込んだ私に、館に住む者たちがどよめいた。穣子は私をまじまじと見た。私は振り返って言った。

「咲夜、いいでしょ?」 

「もちろん構いませんわ。妹様のお好きなように」

ついさっきまで行け行けモードだった咲夜は、異変解決の任を解かれて後ろへ退いた。穣子はふむふむと頷いて言った。

「私を信仰してくれるなら、特別に祭りをしてもいいわよ。来年から私の周回コースにこの館も加えてあげる。でも私はただの八百万分の一よ?」

そういって穣子は不敵な笑みを浮かべた。弱そうに見えるがそこそこ出来るのかもしれない。

「信仰するかどうかは、あなたの味見をしてからよ。美味しそうな匂いだけど、大味で飽きちゃうかもしれないじゃない。日本語の『秋』の語源て『飽き』だって聞いたわ。まあ見たところ貧弱そうな神様だし、簡単に倒しちゃつまらないから加勢を呼んでもいいわ」

「あらそう? なら遠慮なく」

私のは単なる口上だったが、この神様はふてぶてしくも加勢を呼ぶという。本当に弱っちょろいのか、ちょっと失敗したかな、と思った。加勢の相手を見て、その思いは確信に変わった。

 

秋穣子が呼んだのは、蛍の妖怪、リグル・ナイトバグだった。

「リグル、早いじゃない」

「まいど真・虫の知らせサービスです。誰か虫の息なのかな?」

「わたし、わたし」

「どこが虫の息? ぴんぴんしてるじゃない」

「これからこの悪魔に襲われて虫の息になりそうなの。だからリグル助けて!」

「穣子、その手口は、わたしわたし詐欺って言うのよ」

「言わない」

「言わないわ」

「言わないと思う」

穣子が答える前に、パチュリーと咲夜と美鈴が一斉に突っ込みを入れた。

「うう……そんな真顔で突っ込まなくても。って、そこの悪魔はいつぞやの吸血鬼と変なメイドじゃないの」

「今日の相手は妹の方だけどね」

リグルと、レミリア・咲夜の主従コンビは永夜異変の際に知り合っているらしい。

「まったく、誰よこの神様に変なこと吹き込んだのは。虫の知らせはそういう意味じゃないから!」

「いいじゃない。昔はモーニングコールサービスだったのに、今はダイイングメッセージサービスなんでしょ? 次の時代は救出サービスよ」

「だって虫の知らせで目覚まししてたら、虫の知らせはそういう意味じゃないから! ……ってお詫びと訂正を求められたんだもの。どこかの図書館に住んでる根暗でカビ臭い奴から」

「わたし、わたし」

パチュリーが答えた。

「カビ臭いって失礼ね。うちの本にカビなんて生えてないわよ。豊穣の神と虫の妖怪が仲いいなんて、食ったり食われたりの関係なのかしら」

「なんで私が虫食べなきゃいけないのよ」

「ほら、どこぞの亀の王様が凶暴な食虫植物を大量栽培しているって噂が」

「魔法使いは畑仕事をしたことないのかしら。虫媒花に受粉させる時、リグルに何かとお世話になってるのよ。薬漬け農家の畑も害虫を襲わせて神罰覿面だわ」

「だからさ、殺虫剤は苦手なんだって。勘弁してよねあれ」

「私も踏み荒らすの大変なのよ。でも、この戦いはいずれ私たちの勝利に終わるわ。耐性を身につけたスーパーリグルの手によってね。リサージェンスで逆襲よ!」

後でパチュリーが語ったところによれば、リサージェンスとは、害虫駆除のために薬剤を撒いたらかえって害虫が増えてしまうという恐ろしい現象のことを指す用語らしい。

「みんな私に薬剤耐性をつけろつけろって簡単に言うけど、ほんと大変なんだって。何度死にかけたことか。もう食べたくない」

「そんなだから虫の妖怪は馬鹿にされるのよ。虫妖怪の復権のためにも超進化が必要なんだわ」

目の前の意味不明なやりとりを聞きながら、私はがっかりしていた。

八百万分の一の神と、虫の妖怪では相手にならない。穣子はなにやらリグルにぼそぼそと囁いている。

「いいから、本性顕して。ちょっとやってみたいことがあるの」

穣子にそう言われて、リグルは人の形の変化を解き、巨大な蛍の姿を取った。そのお尻が夕闇に光り、周囲の小さな蛍が同期して明滅した。なるほど、強くはないかもしれないが、美しい。美味しそうな香りとあいまって悪くない演出だと思った。穣子はその巨大な蛍のリグルにまたがると、はっきりとした口調で言った。

「わが父は羽山戸(はやまと)、父の両親は、大年(オヲトシ)と天知迦流美豆(あめのちかるみづ)、わが母は大気都(おおげつ)、母の両親は伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)。その名誉にかけて正々堂々戦うわ」

「伊弉諾と伊弉冉の孫娘なの?」

パチュリーが驚いた。

「伊弉諾や伊弉冉だろうと、天照や素戔嗚(すさのお)だろうと、元始天尊やヤハウェ&アッラーだろうと、しょせんは八百万分の一よ」

穣子がにこにこしながら答えた。

「そんなこと言っていいのかしら? あなた豊穣の神様なんでしょう? 素戔嗚の奥さんの稲田姫(いなだひめ)に叱られるわよ。突然呼び出されて柳葉包丁で刺されて殺されたりするわよ」

パチュリーがやや心配そうに言った。すると突然、穣子の表情が変わった。

「馬鹿なことを言わないで。素戔嗚は確かに父方の祖だけど、それよりもわが母大気都を殺した仇だからね。この国の本来の豊穣神である母が、美味しい物を素戔嗚のために作り出していたのに、素戔嗚は愚かな勘違いで母を殺したんだから、この怨みは永久に晴れないわ。うっかり殺人とかなんとかふざけたことを言って罪も償わず逃亡したあんな奴に、尽くす礼なんてないの。それにもまして憎いのは素戔嗚の妻の稲田のやつよ。素戔嗚は豊穣神である母を殺しておいて、よりによって自分の妻を豊穣神の地位に押し入れたんだわ。それも、八岐大蛇に喰われかかっているところをたまたま素戔嗚に助け出されただけの田舎娘をよ? ド素人の分際で、この国のなんちゃって豊穣神の地位に納まったんだから。叱るだか殺すだか知らないけど、私にはドリデンなんて効かないから。あんな夫婦が何の文句をつけようと笑止千万よ。やって来たら夫婦とも返り討ちにしてやるわ」

さっきまでにこやかだった秋の神が、激情を迸らせた。両手を腰に当てアキンボなポーズで憤慨している。

「ねえお姉様、秋の空は乙女の心のように変わりやすいというのはこういうことだったのかしら」

「似ているようで多分違うと思うけど、神様の世界もドロドロしているんだねえ」

私は目の前の穣子の霊力が膨れ上がっていくのを感じていた。私は認識を改めた。この神は、かなり強い。

「そんなことより、この『秋』が本気を出して遊ぼうというのだから、そちらも本気で遊びなさいよ、吸血鬼さん」

蛍のリグルにまたがり、穣子は被っている帽子に載せていた飾りの葡萄を、ブチンと音を立ててもぎ取った。

「いいよ。コンテニューなしでも。コインいっこで倒すから」

「あら? コインなんてなくても無限コンテニューを認めるわよ。さっき戦った人間たちと同じ条件でね。ちなみに私はスペルカードを一枚しか使わないわ。そちらは無制限に何枚でも使っていいわよ」

穣子を乗せたリグルが天高く舞い上がった。

「人間相手にちょっと本気を出すと向こうはすぐ死んじゃうし、何より信仰が減ってしまうからね、戦闘は得意じゃないの。でもあなたには我が母から受け継いだ豊穣の神の力を見せてあげるわ」

秋穣子が晴れやかに笑った。

「……この真・秋(あき)穣子&悪化(あっか)リグルの力をね」

 「ちょっと穣子、なにが悪化よ」

リグルが抗議したが、穣子が葡萄を頭上に掲げるとリグルとその周囲の蛍たちがフォーメーションを取った。穣子の左手に握りしめられた葡萄が光り輝くと同時に穣子がスペルカード宣言をした。

「刑符『真秋の葡萄弾』」

目の前が真っ暗になった。聴覚空間も莫大な何かの粒で満たされた。茫然自失になったのち、被弾して事態を把握した。庭の上空を葡萄の玉が埋め尽くしたのだ。

 

夕闇の中、真・秋穣子&悪化リグルと対峙した私は苦戦を強いられた。敵はただひたすら大量の葡萄弾を撃っているように見える。どんな性質の弾幕なのかわからなかったが、すぐに気付いた。

「見かけ倒しか。この弾幕って、チョンチョン避けていれば大丈夫そうね」

♪どうやら相手の座標を狙う弾が多いのでそのようですね†

蝙蝠も弾幕の外から報告してきた。見かけ倒し弾幕なら耳を塞いだって避けられる。さらに私は、果物には果物、とスペルカードを宣言した。

「禁忌『クランベリートラップ』」

ところが、クランベリートラップを出した瞬間、穣子が爆発したように感じた。

「え?」

入道雲のような葡萄の塊が私を襲った。

♪これは、水平面で六十四列、いえ、軌道がずれているので百二十八列の全方位弾幕です! †

蝙蝠が金切り声を上げるのと、リグルが言い放ったのが同時だった。

「そちらもスペルカードを使ってもいいけど、この『真秋の葡萄弾』を攻略するのにふさわしい攻撃でないのなら、弾幕を無効化するバリアを私が貼るってことになってるから。よく考えてね」

「リグルの説明に補足すると、バリア中に私に撃ちこんだら、神罰の撃ち返しがあるから気を付けてね。つまらない攻撃の応酬なんて不要でしょう?」

「ずるいわ。なら私だって蝙蝠に変化して弾幕を無効化するのに」

「あなたは蝙蝠に変化して避けることは出来ても、こちらを攻撃できないんでしょ。言っとくけどこのスペルカードは時間も無制限だから、時間かせぎは無意味よ」

コンテニュー無制限、スペルカード使用無制限、その代わり、相手の時間も無制限ということか。

こんな酷い攻撃は見たことがないが、バリアに撃ちこまなければよいのだ。しかし、穣子の葡萄弾幕の密度が濃すぎて、こちらの攻撃もなかなか当たらない。私は、苦渋を、いや美味しい葡萄をさんざん甞めさせられた。普通の葡萄の玉なら身体に当たっても皮が破れることはないが、穣子の霊力の作用か、被弾した瞬間に果汁が弾けるのだ。

「なかなかいける味でしょ。今あなたが味わっているのは日本の山に自生している山葡萄よ。これ、結構美味しいワインができるの」

聞いてもいないのに穣子が葡萄の品種を説明し出した。私は、フォーオブアカインドで百二十八列の撃ち返し弾幕をやりすごし、それに対する相手のバリアが解除されたところで、穣子に通常の弾幕を粘って粘って撃ちこんだ。

「あら、柔軟な対応力があるようね。普通の相手はパニックになってしまうものだけど」

攻略されても余裕があるのなら、おそらく第二段階があるのだろう、と思っていると案の定穣子の弾幕が変化した。ワインダー弾に、ばら撒かれた葡萄の房が空中で小さく分裂するクラスター弾のような攻撃と、各段に難易度が上がった。

「どう、葡萄の弾でワインダー。これは甲州にブラッククイーンをちょっぴり混ぜているわ」

「こんな酷い弾幕、ルール違反だわ」

「ええ、もちろん幻想郷の人間相手には使わないわ。外の世界なら使える場所もあるけど」

「違反弾幕には違反弾幕か。禁忌『フォービドゥンフルーツ』」

魔法で召喚した林檎が穣子に向かっていくが、バリアで弾かれた。

「豊穣の神に作物を当てて攻撃しようだなんて無駄よ、無駄無駄」

「じゃあ、籠で覆うのかしら。禁忌『カゴメカゴメ』」

だが、葡萄の弾幕は私が作りあげた籠をやすやすと破って噴出した。

「これじゃあ埒が開かないじゃない」

私はイライラして、バリアに撃ちこんでしまい、百二十八列葡萄弾が私を襲って、私は葡萄塗れになった。スペルカードを使っても相手に攻撃できず、攻撃できる間は避けるのに必死でなかなか相手に当てられない。さらに既に私の周囲全てが葡萄で包まれており、平衡感覚を頼りにかろうじて空中に留まっていられるが、それ以外の感覚が麻痺してきた。絶え間なく葡萄の奔流がこちらに流れてくるので、自分がどのくらいの速度で前後に動いているのかわからなくなるのだ。相手から離れてしまえば避けるのは楽だが、こちらの攻撃がまったく当たらなくなる。そして、被弾する度に私の身体は果汁でべとべとになり、動きも意識も鈍くなってきた。ガッツを失うというのはこういうことを指すのか、と初めて知った。しかし私の心が挫けそうになる絶妙のタイミングで穣子が叫んだ。

「ほら、しっかり」

何が、ほらしっかり、だ。激昂した私のガッツは瞬時に回復した。

私は最後の気力を振り絞って、ワインダーの間から穣子に撃ちこんだ。相手を倒した、と思った時、なんと穣子の霊力がさらに爆発的に増大した。

「よくこの段階までたどり着いたわね。大サービス、これが最終攻撃よ。あなたは、『豊か』ということがどういうことか知ってる?」

穣子の周囲の空間から今までの弾幕の総量を上回る葡萄の弾幕が激烈な勢いとともに出現した。

「知らない! それにこんな攻撃が豊かだというのなら、私は要らない。全部ぶった斬ってしまうわ」

確かに大サービスだろう。まるで葡萄の玉で作られた巨大な太陽のようだ。

「禁忌『レーヴァテイン』」

黒い杖に劫火を宿し、穣子の声がする方へ切り裂こうとした。炎が葡萄に触れ、ブスブスと音をたて、凄まじい悪臭が立ち込めた。

私の攻撃を嘲笑するように穣子が答えた。

「豊かとは、十分に満足できる状況のことではないの。十二分でもまだ足りない。十三分に満足させる状況のことなのよ。だから、豊かの本質は、必要十分にさらなる余剰がなくてはならない」

レーヴァテインは葡萄の流れに押し流され、相手に達しない。

「むむ、随分と攻撃的な『豊かさ』ね。余剰って無駄のことじゃないの」

「そう。豊かさとは無駄の肯定なのよ。余剰があって初めて、他者に分け与えることが出来るのだから。そして真の豊かさは、あらゆる者の欲望を消失させる。満たしきることでね。だからもし悟りを開きたいなら、欲望を満たしきって豊かになってしまうのが一番の近道なのよ。愚かな人間たちはいつまでもそのことに気付かないのだけどね」

レーヴァテインの攻撃は徒労に終わった。

杖の炎が放つ、焼け焦げた葡萄の悪臭に耐えかねて私は杖をしまった。目の前に葡萄の壁が迫るが、もう避ける気力もない。私は空中に留まりながら、葡萄弾幕の大波をかぶり続けた。通常の弾幕ごっこならとっくに敗北しているところだが、この戦いはコンテニュー無制限なのだ。私は敗北して戦いから抜けることもできない。

「外の世界に蠢いているうん十億の壁蝨(だに)のような人間を全員豊かに出来るっていうの?」

葡萄弾の大海の奥底の方で、リグルのお尻がほのかにチカチカ光った。

「それは壁蝨に対しあまりに失礼だ。謝ってもらいたいな」

穣子がリグルの抗議を遮った。

「人間と壁蝨のどちらが高等かは私には判断できないから置いとくけど、外の世界の人間を豊かにする必要はないわ。対象は幻想郷の少ない人間で十分よ。幻想郷の人間は、物質的な豊かさなんて追求していないだけマシだから。ま、いずれ外の世界も豊かになれると思うけどね」

「どうやってよ」

 

「いい、人類は今後百億近くまで増えるでしょう。慌てて愚かな連中が食糧やエネルギーや情報を百億人分用意しようとしているわ。物質的な豊かさしか生み出すことのできないチャチな魔法でね。でもその後が肝腎よ」

私に当たって飛沫をあげる果汁のために、私は溺れているような錯覚を感じた。平衡感覚まで失うのはまずい。

「情報も物質に含めるのかしら」

「情報は、実は物質で出来ているのよ。精神的な豊かさとはもっと高次元の豊かさなの。これは覚えておいて損はないわよ」

穣子の声が、葡萄の攪拌(アジテーション)の渦の中からガンガン伝わってきた。

「百億人の人間が十分な食糧や衣服、住居、エネルギー、情報を得られる環境を作り上げた後に、人類の総人口が一万人に減ったら、どうなる?」

「そうね。一人当たり、百万倍の物質が得られるわね」

「そうよ。その時、人類は気付くでしょうね。物質的豊かさがいかに矮小なものだったか」

この神の言うことも一理ある。豊穣の神が、いや豊穣の神だからこそなのか、意外にも冷酷で現実的かつ危険な思想を持っているものだ、と私は感心した。しかし同時に穣子はまだ人間に甘いとも思った。人間があまりに愚かで、過去より百万倍の物質的豊かさを得ても、まだ満たされず悟れないということはないのだろうか。

「外の世界では、いずれ人間よりも人間らしい仮想人間が何千億人も創られるようになるでしょう。人間にとっての究極の物質的豊かさを目指してね。その時、ようやく人類は精神的な豊かさの存在に気付き始める。でも幻想郷はすでに一歩先を行っていてね。だから私はここが好きなの」

穣子の弾幕の攻略方法がわからないまま、私は穣子の演説を一方的に聞かされ続けた。

 

紅魔館の者たちは時計台の裏に退避してそっと見守っていた。

「ねえレミィ、あの攻撃やばいわよ。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、皮膚感覚、全部封じられているわ。そもそもあれは避けられるような攻撃ではない。このままでは妹様は撃たれ続けるだけよ」

パチュリーがあまりにも今更な解説をした。咲夜がレミリアに進言した。

「本当に危なくなったら、私が助けに行きますわ。美鈴、盾に」

「待ってました。命令があればいつでも」

咲夜と美鈴の発言にもレミリアは答えない。彼女たちの会話は私にも筒抜けだ。私のプライドにかけてそんなことを許さないとレミリアもよくわかっているのだ。だが、私のガッツは回復した。

被弾し続ける私の様子にリグルも穣子に話しかけた。

「ねえ穣子、流石にこれはやりすぎなんじゃない? そもそもこの攻撃を攻略できる者が幻想郷にいるとは思えないんだし」

それを聞いて穣子が私に言った。

「私はね、フランドールさん、あなたなら出来る、と思っているの。この『真秋の葡萄弾』を幻想郷で唯一あなただけが攻略できるとね。だからこんな酷い攻撃をしているんだわ。でも、見込み違いだったかしら」

まったく、どいつもこいつも、人をイライラさせるのがうまい。私は怒りのあまり破壊衝動が頂点に達していたが、感覚の全てを葡萄にふさがれて、破壊の目すら作りだすことができない。その時レミリアが言った。

「弾幕はともかく、これだけの葡萄からワインを醸したら、当分の間楽しめそうだねえ」

「あはは、そうね」

私は思わず笑ってしまった。その時、私の口に葡萄の玉が飛び込んできた。そう、弾幕はともかく、この葡萄は見事な葡萄だった。瑞々しく酸味と香りが強烈だ。これでワインを造ったらどんなに素晴らしいものが出来るだろうと思った。だが、それだけではない。この葡萄どこかで食べた記憶がある。どこだろう?

「気に入っていただけた? これは、中世の頃、ブルゴーニュで作られていたピノ・ノワールと、プロヴァンスで作られていたムールヴェドルよ。コンティ公の畑の葡萄よりも上質のワインを醸造できる最高の黒葡萄」

その時、私は閃いた。ワイン? そうだ。葡萄の玉はワインの原料でほとんどが液体だ。葡萄の玉ひとつひとつは粒子だが、これだけ空間を満たしているなら、波が伝わるんじゃないか。

そう、波紋だ。なぜ今まで気付かなかったのだろう? 

こう考えて、すぐその解答がわかった。

私は、レミリアが見ている前で『四百九十五年の波紋』を使いたくなかったのだ。あの時は、パチュリーが雨を降らせて紅魔館を覆っており、レミリアは神社にいた。だが、今は違う。私が波紋を放てば、それが何を意味しているのか、たちどころに了解されるだろう。あのパパとママの遺体から生まれた哀しい波紋のことが。穣子はあの弾幕の性質を聞いたことがあって、私だけ唯一攻略できると言ったのだろう。その通り。これでQEDだ。しかし……私はためらった。その時、レミリアが快活な調子でパチュリーに尋ねた。

「パチェ、QEDってどういう意味か知ってる?」

「ラテン語のQuod Erat Dēmonstrandumの頭文字。『このことが証明されるべきでありつづけたのよ』、つまり証明終わり、の意味ね」

「咲夜はどう思う?」

CuteEatDead、かしら?」

「滅茶苦茶ね。美鈴は?」

Quixotic(空想的な) Epicurean(快楽主義的な) Domestic(家庭的な)、なんていかがでしょう?」

「あなたらしいわね。でもね、ここでQEDは波紋を指しているのよ。だから、三人とも不正解。答えは、今、外の世界で最新の魔法、Quantum(量子) Electro(電気)Dynamics(力学)のことよ。フラン、私に遠慮することはないわ。四百九十五年前はとっくに過去のことなんだから。もう未来を見るのよ」

言うまでもなく、QEDはパチュリーが言った通り、証明終了、だ。私もなぜQEDなのか自分でよくわからない。だが、確かにあの時、なにかの証明が終わったのだ。そして、それはレミリアの言う通り、過去のことにすぎない。なら別の解釈で運命を変えられるのだろうか。

「レミリアお姉さまは、本当にGUTs(ガッツ)を与えるのが上手ね」

レミリアの愉快そうな笑い声が微かに聞こえた。GUTsとは言うまでもなく、最新の魔法の一つGrand() Unified(統一) Theorys(理論)のことだ。私は穣子とリグルの座標へ向き直った。

「そして、周囲にある粒子は色つきだわ。だから……QCD『四百九十九年の波紋』!」

Quantum(量子) Chromo()Dynamics(力学)を表す波紋が私の身体から生まれ飛び出した。

私は魔力を振り絞った。夕闇の中黒々とした葡萄の海を青緑の波紋が疾走していき、真秋穣子と悪化リグルに命中した。

秋の夜空に、静寂が戻った。

 

「あ〜楽しかったわ。あなたに会えて良かった。また遊びましょうね」

紅魔館で葡萄塗れになった服を一緒に着替えながら、秋穣子が言った。着替え終わったリグルが横やりを入れた。

「私は二度とやりたくないよ。この人の攻撃をバリアで防ぐのは大変だったんだから」

「リグルには付き合ってもらって感謝しているわ。これからどこか屋台にでも行きましょう。ご馳走してあげる。葡萄食べる?」

「もういいよ! しかも蛍は肉食だからね。貝の肉が好みなんだ。川蜷(かわにな)とか田螺(たにし)とか蝸牛(かたつむり)が食べたいな」

「わかったわ。ところでフランドールさんは満足した?」

「した。不思議ね。戦っている時はあれだけ忌々しいと思っていたのに、すっきりさっぱりして満ち足りた気分になっちゃった」

パチュリーの魔法で洗濯され乾燥された服に、咲夜が手早く熱した鉄ゴテを当て、私たち三人はこざっぱりした格好になってすでに暗くなった庭に出た。

広い紅魔館の前庭全域で、小悪魔の指揮の元、館の妖精たちが山となって積み上がった葡萄を回収していた。

それを見て、穣子はふふんと笑って私に掌を振った。するとなにやら黴ているようなしなびた白葡萄がぼろぼろと出てきた。

「その白葡萄は出来そこないよ。醸(かも)せないわ」

「そう見えるでしょう? ところがどっこい、これは貴腐葡萄って言ってね、これでワインを造ると、とっても甘くて美味しいワインができあがるの。きっとフランドールさんの口に合うワインになるから、ぜひ醸してみて」

貴腐葡萄とは始めて聞く言葉だった。菌が付着した葡萄でワインなんか造れるのだろうかと思ったが、穣子が言うならそうなのだろう、とその時は思った。穣子が数回手を振った後には、穣子の背丈を超える貴腐葡萄の山が紅魔館の玄関に出現した。その時だった。

貴腐葡萄の山の上に、はらはらと紅葉した葉が舞い降りてきたのだ。

「あら? 穣子じゃない。こんなところで油、もとい葡萄を売ってるのかしら。あらあら随分派手に葡萄をまき散らしたわね」

薄暗い宵闇の中でも真っ赤に見える不思議な服を着て、帽子に銀杏と椛の葉っぱを戴いた神が降りてきた。

「こちらは私の姉で、私と一緒に秋を司る静葉よ。ほら、妖怪の山を監視している最中の。ってあら、もう監視の仕事は終わり?」

「さっき終わったわ。白狼天狗の犬走(いぬばしり)(もみじ)が色々と経過を教えてくれてね。今頃神奈子たちと天狗は酒盛りしてるわ」

「お姉さんも妖怪の信者を増やしているのね」

「椛の上司(Boss)は大天狗だけど、また私も椛の盾の装飾(Boss)だからね」

静葉がスカートの裾を山の裾のように持ち上げると、そのスカートから紅葉した葉がはらはらと落ちた。

「ねえ穣子、山に登った人間達は、神奈子に勝ったわよ」

「え? 本当? 巫女だけじゃなく魔法使いまで?」

「そう。実はね、私が人間たちに霊力を与えたの。紅葉の力で霊撃を撃てるように神徳を施したし、魔法使いは特殊な条件でレーザーの出力が増大するようハンデをあげたわ。それでも神奈子を倒したのは大したものだけどね。魔法使いには、ご褒美として大きな栗のなる木をそれとなく教えたら、ずいぶん喜んでたわ。今後は山に入り浸るようになるかもね」

「ははあん。お姉さんも人間の信仰が欲しいのね」

会話を聞いていたパチュリーが割り込んできた。

「ちょっと待って、あなた紅葉の神なんでしょう? そんな力があるの?」

「ええ。昨今では、スペルカードを発動させるときに、紅葉の力が必要なのよ。ほら発動する時、紅葉の美しさが身体に集まっていく感じがするでしょう? それに、弾幕ごっこに参加する者、これは妖精たちも含めてだけど、被弾しても酷いダメージを受けないのは、紅葉を憑代にしてダメージを肩代わりさせているからなの。今度道で妖精に会ったら、弾幕で倒してごらんなさい。憑代になった紅葉を散らすのがわかるはずよ。今じゃ、私がスペルカードルールを支えているようなもので、忙しくてたまらないわ」

裏方の苦労というのは、ただ楽しむ者にはわからないものだが、この秋静葉という神も、そうした幻想郷の楽しみを裏で支える者の一人のようだった。

「冬でも春でも私が駆り出されるのは大変だからいずれ他の季節の神にバトンタッチするわよ」

こういって、秋静葉は寂しそうに笑ったが、これは彼女の元々の表情なのかもしれない。

「終わりよければ全てよし、というじゃない。まあ守矢の神は一柱じゃないから、もう一悶着あるかもしれないけど。私は夜の間に木々を見回りに行くわ。今年はあちこちの山をどんな風に紅葉(もみ)ってやろうかな、って色々考えているの。その後、来年春先の杉や檜の花粉の量を話し合う、木々の神々との協議会もあるし」

紅葉(もみ)るという動詞は知らなかったが、古語の四段動詞「紅葉(モミ)ツ」をそのまま現代日本語の五段動詞にした静葉のお気に入り動詞らしい。そこで仕事熱心な静葉を穣子が引き留めた。

「その前に、一杯やりましょうよ。守矢のことを詳しく聞かせて欲しいわ。特に、守矢の神があの月の姉妹と対抗できるかってことをね。リグル、行きましょう」

「はいよ。もう一度言うけど、蛍は肉食だからね。貝の肉が好物だからね」

「はいはい」

こうして、三人は静かになった秋の夜空を飛翔して行った。私は秋の香気と葡萄の香りが混ざった芳しい大気を吸い込み、気分を一新した。ワインを造るのだ。それも極上のワインを。

 

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