(泗巻 262ページ) 天子は、気質の塊を上空の方へ飛ばした。赤い気が天空に当たりそうになった。  その時、豊姫が、霊力をこめた桃の実を、気の奔流の先へ投げつけた。 月面の結界が、一瞬にして砕けた。  あっ、と思う間もなく、破れた結界から何か巨大な物体がこちらに向かって落下してきて、「全人類の緋想天」の気質の塊と当たり、凄まじい閃光とともにバラバラになって砕けながら地面に衝突し、巨大な地震が起きたのだった。 それは外の世界の暦で、二〇〇九年六月十一日三時二十五分十秒だった。  私の目の前が、真っ白になった。 (以下、ページ欠落部分) (新書版で7ページ空白)  目を覚ますと、あたりには天子と衣玖、そして何故か、幻想郷の困った妖怪、八雲紫と部下の八雲藍がぶっ倒れていた。  玉兎たちに介抱された後聞かされてわかったのは、日本国が月の探査という名目で打ち上げた人工衛星「かぐや」が頭上から降ってきた、ということだった。  私達は月の都にとって忌まわしい名前をもつ、衛星「かぐや」を始末させるために、衛星の落下地点におびき寄せられたのだった。  八雲紫と八雲藍は、落下地点にきちんと落とすために、かぐやに乗り込んでいたらしい。  砕けた衛星から放り出された紫は、まるで部下の藍が攻撃する時のモーションのように、凄まじい勢いでくるくる回転しながら墜ちると、あっけにとられていた比那名居天子と、頭と頭をぶつける見事な正面衝突をしたらしい。介抱していた玉兎たちを弾き飛ばして、天子と紫が、避(よ)ける避(よ)けない 、故意だ過失だ、どっちが愚かだ、と口喧嘩を始めた。依姫が私の傍にやってきた。 「ごめんなさいね。地上の民が、それも私達と関係の深い日本が打ち上げた衛星の破壊処理に、私達の手を汚すわけにはいかなくて。なにしろ、カグヤなんて名前がついているものだから。それにしても、パチュリーさん、本当の第二次月面戦争は、あのグレートマザーたちが集まった戦いは、とっくの昔に終わったのに、貴方はタイミングが悪い人ね」 依姫がそんなことを言った。どうやら、私はまたも、肝腎な部分でズレていたらしい。豊姫が、言い争う天子と紫を引き離しながら言った。 「八雲紫、ほら、千年ものの古酒を沢山もってきてやったわ。飲みなさい」  豊姫がそう言ったので、紫が扇子で口元を隠して、踵を返した。 「そんな不味い酒は要りません。幻想郷には美味しい酒が沢山あるんですもの。帰りますよ」  しかし、藍はすでに座って衣玖と一緒に桃を賞味していた。 「無駄よ。自力で帰るつもりなら、地球から見て満月の夜は四日も前なのだから、次の満月まで二十六日ぐらいあるわ。ゆっくりしていきなさい。命令よ、命令」  南斗水鳥ロケットは衛星「かぐや」の破片が直撃してバラバラになっていたため、私たちも豊姫の力に頼るしかない。 「貴方達をおどかして勝った勝利者に、負けた者が酒を振る舞って許しを請うというのなら、受けてもいいわ」 「あの馬鹿な真似をしたのは、貴方じゃなくて亡霊でしょう。あ〜あ、一億年ものの古酒も用意したのになあ。天人は飲むわよね」 「ええ、頂きますわ」  一億年、という言葉に紫が、一瞬、顔を隠している扇子を顔に強く押し当てた。悔しそうな笑顔を強く隠したかったのだろう。そして、パチン、と扇子を閉じた。 「藍、月の民が出した酒、飲むわよ。この者たちがいう、一億年の年月、その真贋を確かめなくては」  玉兎が千年の古酒を紫の杯へ注いだ。依姫が笑った。 「一億年ものを飲んだことのない者に、真贋など確かめられるはずがない。お前は、信じて飲み、一億年の味わいに感動して泣く以外の道は残されていない」 「泣かない って」 「泣くよ、きっと 」  天子が言った。そもそも、一億年の古酒が美味しいのかどうか、私にも見当がつかなかった。  その後ろで、豊姫がこんなことを言った。 「わかっていると思うけど、貴方の詠唱言語はあまりにも古風だわ。黴臭くて相手にならないの」 「古風? 古いんじゃないわ。自然言語の方はオリジナルよ」 きっと、月の民が使う魔法言語と私の魔法言語 では、外の世界の式神用言語に例えれば、アセンブラ言語とC++以上の差があっただろう。豊姫はじっと見た。 「印欧語のオリジナルを作ったのも貴方だってね。幻想郷は本当に面白いわね。月にいらっしゃらない? 印欧語族の祖神になれば、月で幽雅な生活が送れるわよ。そして、世界の文明を、貴方が望む方向へと矯正することも不可能ではない」 「黴臭いところが好きなのよ。それに幽雅じゃなくて幽閉の間違いでしょ。どちらにせよ幽かな存在に貶められるだけだわ」  豊姫は残念そうな顔をした。 「いえ、黴臭いだけじゃないわ。地上のこんな匂いが好きなのよ」  私は、香りが薄まってしまった珈琲符をひらひらとかざした。  私は、論理ではすぐには解けなさそうな珈琲の香りを嗅いだ。そしてこの香りのような、真に幻想的で真に魔術的な、魔法言語を創ることを心に誓ったのだった。 (第十九章 自然現象マイナス二 〜 Heg Gnnehmi. 終わり)